総本山 身延山 久遠寺

身延山久遠寺は、正式には身延山妙法華院久遠寺と言う。
鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれた寺で、日蓮宗の総本山として、また祖師日蓮聖人の山ということから、祖山とも呼ばれている。
かつて、身延山は甲斐の国波木井郷の内にあり南部実長公の領地であった。日蓮聖人は「聞き入られずば山林に身をかくせ」との古事にしたがい、文永11年(1274)5月17日に入山され、6月17日 草庵を建てて安住を定められたことから、今日では、この日を身延山開闢の日として730余年の間、その聖地の法燈を代々に受け継がれ護り続けている。以来、日蓮聖人はこの地でひたすら法華経の読誦と門弟たちへの教育に心血をそそがれ足かけ9ヵ年の間、身延山から一歩も外に出る事はなかった。しかし、弘安5年(1282)9月8日、病身療養のため、また両親の墓参のため常陸の国(茨城県水戸市加倉井)へ向け身延山を出立したが、その途上武蔵国池上(東京都大田区池上)において61歳の生涯を釈尊、法華経、お題目の布教に奉げられた。
9ヵ年の間、法華経の精神を専心に心身共に読誦された山ともあり、日蓮聖人は「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」と遺言を遺されたことから、ご遺骨は身延山に奉ぜられている。
法華経は、一切経の総合経典とも言われ、全ての人々の救済を目指した究極の経(教え)である。日蓮聖人は法華経に生涯を奉げられ、晩年は身延山で法華経読誦をはじめ法華経の修行と師弟の教育に勤められた山であることから、この身延山はインドの霊鷲山(釈尊が法華経を説かれた山)と同様に仏神が舞い降りて住居されるところであると拝受された。
この山に詣でる事によって、前世からの罪はたちまち消え去り、逆に善根を積むことと同様に功徳があると日蓮聖人は教示され、「日蓮が弟子檀那等はこの山を本として参るべし」と言い遺された山である。

 

 

 

2015年10月31日