生活の豊かさにも心を満足させなかったお釈迦様

 お釈迦様が誕生して七日の後に摩耶妃が亡くなり、摩訶波闇波提と言う人によって養育され、幼いお釈迦様は一族のものの愛情を一身にあつめ、何一つ不自由することなく成長しました。たくさんの学問や技芸、武術の教師がカピラ城に招かれ、若いお釈迦様は、その何れの分野においても非凡な才能を発揮したのです。王宮内には蓮池があり、青、紅、白の蓮華が、どんな時にでも咲いてとても綺麗で気品にあふれており、若いお釈迦様は、最高級の衣服、下着、香水を使っていたのです。青年時代のお釈迦様は、この上なく優雅に日々を送っていました。さらに父王は太子の為に三つの宮殿をつくり、一つは冬を過ごす為の宮殿。もう二つめは夏を過ごすための宮殿。三つめは雨期を過ごすための宮殿でありました。太子は雨期の四ヶ月のあいだ、雨期の宮殿のなかで女性だけの伎楽にとりまかれていて、宮殿から外に出た事はありませんでした。青年時代のお釈迦様は、このように裕福で、優雅に生活を送られていましたが、ある時、このような心境を抱かれました。『無知の凡夫たちは、自分自身も老いていくものであり、老いを免れない存在なのに、他の人々の老衰していく姿を見て悩み、恥じ、嫌悪している。この私も老(お)いていくものであり、老いを免れないのに、他の人々の老衰した姿を見て、恥じ、嫌悪するだろうか。この事は私に相応しくない』このように心に感じとられた、お釈迦様は青年時代における全ての若さの驕りを消滅されたのでした。

2015年11月01日