如来滅後五五百歳始観心本尊抄

※文中(定)(定遺)とは、『昭和定本 日蓮大聖人御遺文』全四巻を指し、例(定一〇一項)の漢数字は項を(定一)の漢数字は巻数を示す。



略して「観心本尊抄」または「本尊抄」「観心抄」とも称す。

一巻、日蓮聖人著。定遺一巻、大正八四、国訳一切経和漢撰述諸宗部二五等収。真蹟一七紙完存一帖、但し表裏に記載される故、延べ三四紙となる。千葉県市川市中山法華経寺蔵(国宝)。佐渡配流第三年目の文永一〇年(一二七三)四月二五日、一谷の配所にて著述、時に五二歳。今の妙照寺はその霊跡である。宛所対告は『観心本尊抄副状』に「観心の法門少々之を注し、太田殿・教信御房等に奉る。此事日蓮当身の大事也。之を秘して無二の志を見ば之を開拓せらるべき歟(略)富木殿」とあるから、聖人が自信の当身の大事をしたためて下総中山の富木常忍に賜い、兼ねて近在の太田乗明・曽谷教信、および「等」とあるから門下一同に示された御書である。「当身の大事」とは聖人が過去二〇年にわたる全体験・全学問・全思索を結集して得た信仰的核心の表白であるということ、それは教学的には三大秘法であるが、本書はその中の本門題目・本門本尊を顕示し、本門戒壇を密示する。即ち本尊に対して合掌唱題する所は戒壇に外ならないし、また本国土妙(四十五字)を説くところ等は即ち戒壇の法門である。「無二の志を見ば」等とは、聖人の書簡の対告は敵者・半信半疑者・信者にわたるが、本書はその中でも無二の志ある者にのみ披見が許されるということで、特に強信の者に対して示された御自身の内証の法門である。前年には『開目抄』を述作して上行自覚を内示されたので、今は上行菩薩としての内証を示されたわけである。本書の内容及び『副状』の教示等により、古来本書は聖人の三大部・五大部の随一に数えられ、『開目抄』が人開顕の書であるのに対して、本書は法開顕の書と定められている。

〔題意〕
古来種々の異説があるが、要約すれば「如来滅後五五百歳」とは『大集経』に如来滅後の仏法の退嬰ぶりを区分して解脱堅固・禅定堅固・多聞堅固・多造塔寺堅固・闘諍言訟白法隠没の五箇の五百歳とする中の第五の闘諍堅固の五百歳、つまり正法千年・像法千年の次の末法万年の初めの五百年を意味し、本書の著述年代は仏滅後二二二二年に当るから、実は聖人が生きる末法の現時点を指す。「始」とは正法千年・像法千年には説示されず、末法の初めに「始めて」の意。故に『副状』にも「仏滅後二千二百二十余年未だ此書の心あらず」とある。「観心本尊」とは、心の本尊を観ず、観心の本尊、観心と本尊、と三様の読み方があるが、内容に照らしてみると「観心と本尊」と読むべきである。観心とは天台宗では十境十乗の観念観法をこらすことであるが、今は法華経の題目を心に信じ口に唱え身に行ずる信心為本の唱題を観心とする。本尊とは信仰の対象であり、十界勧請の大曼荼羅ないし一尊四士である。ただしこの本尊は超越的存在であると共にまた行者の己心に内在する存在でもなければならぬから、心の本尊、観心の本尊とも読んでよいのである。なお本書の題号は聖人の御置題である。

〔著述の動機〕
『三沢抄』に「又法門の事はさどの国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。此国の国主我をもたもつべくは、真言師等にも召し合せ給はずらむ。爾の時まことの大事をば申すべし。弟子等にもなひなひ(内々)申すならば、ひろう(披露)してかれらしりなんず。さらばよもあは(合)じとをもひて各々にも申さざりしなり。而るに去る文永八年九月十二日の夜、たつの口にて頸をはねられんとせし時よりのち、ふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいはざりける、とをも(思)て、さどの国より弟子どもに内々申す法門あり」(定一四四七頁)と述べておられるように、問注所での真言師らとの対決の時に自己心中の真実義を披露しようと期していたが、竜口斬首・佐渡流罪の挙に出たのを見て、もはや対決する機会もあるまいと覚悟したので「内々申す法門」つまり本書を弟子達に送ることにしたといわれる。しかし以上は他律的動機であって、自律的動機は、一年前に塚原で『開目抄』を書いて本化上行の自覚を密表したから、次には上行菩薩としての自身の内証を公示しなければならぬ。さもないと上行自覚は有名無実となるからである。これ本書の述作の根本動機である。かくて立教開宗を家屋の上棟式に譬えるなら、本書述作は落成式に比せられる。

〔内容梗概〕
漢文白文体で、三十番の問答からなり、分節すれば、能観の題目段(第二十答の「一身一念遍於法界等云云」まで)と、所観の本尊段(第二十答の終まで)と、末法本化弘通段との三段に分けることができる。第一能観題目段は、冒頭にまず智宮の『摩訶止観』巻五の第七正観章の一念三千に関する文を挙げ、これをもって天台の全教学は指南としている、これを智宮の終窮究竟の極説とするという湛然の『弘決』の教示を引いて、一念三千論の重要性を知らしめ、また百界千如(玄義・文句)と一念三千(止観)との相違を論じて、百界千如に三種世間(衆生・五陰・国土)を相乗すれば一念三千であるから、非情草木(国土世間)にも心あり、修行成仏する義は一念三千に依る以外にない。故に木画二像を本尊に恃むことは一念三千に依らねば無益となるとて、第二段に本尊を定めるための伏線とする。

 第十二番問答では観心の心を問うて「我が己心を観じて十法界を見る」ことと規定し、第十三番問答ではその十界が互具するとなす法華経の経証を問うて、総じては九界所具の仏界、仏界所具の九界、別しては十界の各々に他の九界を具有する経文証拠を挙ぐ。即ち智宮の一念三千は今ここで十界互具に凝結されたわけである。『開目抄』に「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(定五三九頁)といわれるのは、この辺の事情を示すものである。第十五番問答では十界互具についての現実の証拠を問い、まず六道を人界に具する証拠、次いで四聖を人界に具する証拠を示すが、中でも仏界を人界に具する問題については特に詳しく、仏界ばかりは現じ難いが、末代の凡夫が法華経を信ずるに至るのは人界に仏界を具する証拠ではないかといわれる。第十七番問答は益々具体化してきて、人界の中でも末代の我等が劣心に仏界を具する証拠を問い、答うるに、十界互具ということは石中の火、木中の花を信ずることのように難信であるが、人界に仏界を具することは水中に火あり、火中に水あることを信ずることのように、最も難信である。しかし堯舜等の中国古代の聖人は万民を偏頗なく愛し、不軽菩薩は所見の人に化身を見、悉達太子は人界より仏身を成就した。これらの現証を以て敢て信を取るべしといわれる。

 第十八番以降は聖人自ら「之より堅固に之を秘せよ」と割書きの上、誡められるように、聖人独自の事一念三千の法門がこれから展開される。「堅固に之を秘せよ」とは、無信者や半信半疑者を遮して強信の者にだけ知らせられる法門であることを示す。さて第十八問は長文にわたるが、要するに我ら凡夫の己心に教主釈尊が住み給う所以を問うところであって、教主釈尊を爾前・迹門・本門の三重にわたってその尊容を示し、かかる尊貴な仏様がどうして我ら如き凡夫の心に住み給うわけがあろうか等々と。答えるに、開経の二文、結経の一文、法華経の「欲聞具足道」とその解説を出し、最後に私にこれらの経文を会通すれば、経文をけがすことになるが、強て会通すればとて「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(定七一一頁)と結ぶ。これを受持譲与段、自然譲与段または三十三字段と呼び、本書中の重要句とする。「因行果徳の二法」とは〈一念三千→十界互具→因果〉としぼったものであり、これを「釈尊の」としたのは、一にはなに故に我等の劣心に教主釈尊が住し給うかの問に答えるためであり、二には一念三千の具現者は釈尊一人であると見たためであり、三には妙法五字は諸仏諸経の功徳聚であることを示すためであると思われる。また「妙法蓮華経の五字に具足す」とは、理としては一念三千の一念は十界の一切衆生の日常飲みたい・食いたい・着たいと思う六識陰妄の心に外ならないから、一切衆生に釈尊の因行果徳は性具されているべき道理であるが、一には現実に立還ったとき、末代の愚者の劣心に仏を具有するとは到底認容すべきでなく、二には一念三千は元来は法華経の真理であるところから、且らく理具の辺を伏せておいて、これを五字の具足に帰したのである。従って末代の我ら凡夫が事実上において釈尊の因行果徳を具足するための方法は、妙法五字の受持以外になく、受持の行を媒介として釈尊の因行果徳は我らに自然に譲与されるとなすところに、事の法門たる所以がある。「受持」とは口に唱えるばかりでなく、心に深く味わう信心と身に実行する色読と、三業に受持することである。三業に受持しなければ成仏は覚束ないとは、聖人がしばしば誡められたところである。

 次にこの自然譲与段を更に助証するために信解品の「無上宝聚不求自得」、方便品の「如我等無異」、宝塔品文、寿量品の「然我実成仏已来」、同品の「我本行菩薩道」の五文を引き、最後に六祖湛然の『弘決』巻五の「当に知るべし、身土の一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて、一身一念法界に遍ねし」の文を引いて第一題目段を終る。この文は本書の最初に引用された『摩訶止観』五巻の「介爾も心あれば即ち三千を具す」の文の補釈に当る部分で、湛然のこの文が能観段の結びとされるところから、聖人の思想は智宮よりも湛然に親しいと考えられるが、介爾も心あれば三千を具すとするのも、法界に釈尊の一身一念が遍満するとするのも、聖人の事具から見れば共に理具の分斉であることに変りはない。ただ違うところは、身ばかりでなく土にも三千を具すと明言して智宮の考え方を一層明瞭にし、また智宮は「介爾も心あれば」という条件下において三千具足を説いたに対して、湛然は(釈尊が)成道したとき、身土三千の本理に契合して、その一身一念は法界に遍満する、法界は普ねく仏光に浴するところになるとて、仏の成道という条件下において仏界具足を説く。ここに聖人の本門思想、久遠仏を中心とする思想信仰に近いゆえんがある。

 第二所観の本尊段は「夫れ始め寂滅道場華蔵世界より」から始まるが、そもそもこういう浄土論を起した理由は、寿量品の説相が久遠実成の釈尊の開顕と共に、釈尊の住所を常在霊山と示す、仏土の開顕にもわたるからであるが、本文上、より直接的には湛然の身土三千の文を受けた結果である。釈尊が成道して法身を悟ると、法身は遍一切処であるから、釈尊の悟りを仏身をもって呼べば毘廬遮那であるが、仏土をもって呼べば常寂光土である。仏身と仏土とは常に不二の関係にあるのである。この筋に従って聖人は、第一段で行者の唱題成仏を定めたので、次には必然的に浄土論に転じたのである。従って湛然の身土三千の文は第一段の結びであると共に、第二段の初めでもある。

 さて、諸経には種々の浄土が説いてあるが、それらの浄土の教主はみな無始の古仏たる本仏釈尊の所変であり、無常の仏であるから、無常の仏が入滅すれば、身土不二の道理によって所居の土も消滅する。「今(さて)、(現実の娑婆の根底なる)本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり。(なぜなら、能居の)仏既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、(本仏の)所化(たる行者も亦)以て(本仏と)同体(なれば)なり。此れ即ち己心の(身土一念)三千(に)是足(せらるる)三種の世間(の中の国土世間の意味)なり」(定七一二頁)と。これを古来四十五字法体段と称するのは、本文が漢文四十五字からなり、本国土妙とその能居たる本果・本因の二妙との三妙が合論された事一念三千の永遠不滅の仏土観がここに余蘊なく表明されて、妙法五字の法体をなしているからである。故に次に四十五字を受けて「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字」と筆を継がれる。この五字を仏は迹化に付属せず、本化地涌の菩薩を召して八品を説いて付属された。ところで本尊は妙法五字の一秘から開出されるのであるから、本化に譲られた妙法五字を指して「其の本尊の体たらく」とて大曼荼羅の下敷きとなる儀相を示される。三月後に図顕される佐渡始顕の大曼荼羅はこれと無関係ではあり得ない。そして次下に「是の如き本尊は(略)但だ八品に限る」(定七一三頁)とあるから、この本尊は八品所顕の霊山虚空会の本因・本果・本国土の儀相を表したものであり、また「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべき歟」(同頁)とある故、これは文字曼荼羅であるばかりでなく、仏像でもある。

 第三の末法本化弘通段は、末法には地涌菩薩が出現して妙法五字の要法を衆生に下種することを、法華経の文を示しつつ説くところで、第二十一問より始まる。初めに四種三段を示して、過去大通智勝仏の法華説法以来のすべての十方三世諸仏の微塵の教法を皆な寿量品の本法の序文とし、本法を正宗分とすると説き、次にその対告を示して「末法の始を以て詮と為す」(定七一五頁)と示し、また「在世の本門と末法の初は一同に純円也、但し彼は脱、此は種也、彼は一品二半、此は但だ題目の五字也」(同頁)と、在世と末法との相違を論じて、末法は本門の要法の下種益の時代とする。最後に本書の趣旨を総結して、題目・本尊の法体たる「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、五字の内に此の(一念三千という)珠を包み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」と。

〈末註〉約八〇種の多きにのぼるが、主たるものに富木常忍『本尊抄私見聞』一、日朝『本尊抄見聞』七、日講『本尊抄啓蒙』四、日輝『本尊抄略要』一、『日蓮聖人御遺文講義』三巻、『日蓮聖人遺文全集講義』一一巻がある。(浅井円道)

2016年03月30日