各品大意

法華経二十八品に関する各大意です。
当山の住職が読み解く法華経は、法華経講話会でお話していますので、ここでは省きます。但し一部、当山の住職による監修、添削がされています。

当山の住職、太田日瓏先生は、法華経の文字、六万九千三百八十四文字の教えを理解する事はもちろんのこと、法華経には文字だけでは見えない、聴こえない教えがあるとお教えくださっています。これらの文字以外の法華経の教えを、ご本仏様のお声で聴こえてくるようになる事が、法華経への信仰を極める事であるとお示しくださっています。法華経に説き明かされている「法華最第一」の理由がさらに深まります。このような事をお示しいただく大法を持たれる法華経の導師(住職)は、他を探しても出会う事ができません。真の法華経を求める求道者の方は、ぜひ法華経講話会へご参加ください。


序品 第一

本品は法華経全体の総序であると共に、迹門十四品の序分でもある。法華経は釈尊が中インド摩掲陀国の首府、王舎城の近郊耆闍崛山(霊鷲山)で説かれたもので、その会座には阿若憍陳如を始めとする一万二千の阿羅漢、その他二千の声聞、六千の比丘尼、八万の菩薩、梵天・帝釈等の神々、阿闍世王等の人民が聴衆として在った。仏は先に『無量義経』を説き終って無量義処三昧に入っていたが、天より華降り、大地は六種に震動したので大衆は歓喜して仏を見奉った。仏は眉間より光を放って東方万八千の世界を照らし、その光明の中に地獄から天上に至る六道の衆生の姿、菩薩等の修行の状態、諸仏の般涅槃などを見せられた。この奇瑞を見た大衆は何の前兆であるかと疑問を懐き、弥勒菩薩が大衆を代表して文殊菩薩に奇瑞の因縁の説明を求めた。文殊は過去の諸仏が法華経を説く前には必ずこの瑞相が現れたことを例示して、今日の釈尊もまた将に妙法蓮華経の大法を説かれるであろうと答える。これはこれより始まる説法が、従来の諸経とは全く異った一大事の法門であることを暗示し、大衆の注意を喚起したものである。なお過去の諸仏を説く中に二万の日月灯明仏の故事があげられている。序品は仏の入定中における法華説経の前相であって、文殊・弥勒の問答に師弟久遠を密示し、仏説に先立って菩薩をして法華の救済の平等と仏身の常住とを物語らせるものである。



方便品 第二

本品は迹門正宗分の中核をなすと共に、本門正宗分の寿量品と相対して、法華経の二大中心をなす教義的にも極めて重要な品である。まず仏は無量義処三昧より出て、舎利弗に向って、諸仏の智慧は甚だ深くして入り難く解り難いと、仏智を称讃して小乗の徒に疑問を提起した。仏智の内容をいえば、諸法の実相、即ち諸法の如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等の「十如是」であるが、これは仏のみが究め尽くす所であって二乗の知る所でないとされた。そして仏は二乗に向って、声聞・縁覚を求める二乗に涅槃を得させたことは、この甚深の智慧を有する仏が、方便力をもって三乗の教を説いたのであって、これから説くところの法が真実の教であると「開権顕実」した。これを聞いた舎利弗を始めとする大衆は仏意を領解することが出来ず深い疑惑を懐いた。そこで舎利弗は自己の疑念と大衆の疑惑を晴らさんとして、仏に向って何故に如来は諸仏の智慧の甚深広大なるを讃歎し、その法を称讃せられるのか、と仏の真意を説き示さんことを三度懇請し、三度制止された。「三止三請」の丁重な儀式を経て、仏が当に出世の本懐を語らんとした時、五千の増上慢の人々は席を立って退いた。ここに釈尊は法華一乗の妙法を宣説せられるのである。即ち仏が四十余年の間に説いてきた三乗の教えは、一乗真実の法に誘引せんがための方便の教えである。諸仏が世に出現するのは「一大事因縁」のためである。それは仏の悟りに一切衆生を開示悟入せしめることである。衆生の能力に随って種々に法を説いてきたが、それは仏智を獲得せしめるために設けた方便の教えであって、衆生の修行すべき道は唯だ一仏乗のみである。そして初めに三乗方便の教えを説いて後に一乗真実の法を示すことは、仏出世の本懐であり、三世十方諸仏の説法の儀式である。ここに「開権顕実」の内容たる「開三顕一」(会三帰一)が示され、「二乗作仏」の義が顕説されたのである。本品はこの「開三顕一」の法を説いて、すべての衆生に仏智を獲得させることが諸仏の誓願であると力説している。また本品の終りに、人々が種々の福徳を修して仏道を完成することを説き「小善成仏」が説示されている。なお智顗は本品の「十如実相」の文によって高遠な「一念三千」の論理を創造したのである。



譬喩品 第三

本品から人記品に至る七品は、方便品の説法を譬喩、因縁談等をもって説明し、法説・譬説・因縁説の「三周説法」によって、すべての二乗に仏の真意を領解せしめ、二乗は悉く未来成仏の記別、予告を与えられ、方便品の説法は実証されるのである。譬喩品では舎利弗は方便品の開顕を聞いて最初に仏意を領解し、大いに悦び「真に是れ仏子なり」の信念に安住することを得た。そこで仏は舎利弗に未来世に華光如来となり衆生を教化するであろうと授記(成仏の予言と保証)をされるのである(二乗作仏)。方便品からこの舎利弗授記までが法説周の説法である。次いで舎利弗は千二百の阿羅漢のために開三顕一の法を説くことを懇請し、仏は譬喩をもって説法を始められる。これが「三車火宅の喩」である。(→ほっけしちゆ・法華七喩)この喩えにより三乗方便一乗真実の教えを開説した。本品偈の「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護」の文は、仏の大慈悲を述べたものであるが、日蓮聖人は釈尊が我々衆生の主であり師であり親であることを示した文として重視している(三徳偈という)。また「以信得入」と説き「若人不信毀謗此経(略)其人命終入阿鼻獄」と説いて、法華経が信の仏教であることを強調している。聖人の謗法呵責の思想と行動に本品は深い関連をもっている。

 


 

信解品 第四

譬喩品の説法を聞いた中根の機類たる四大声聞(須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目犍連)は、仏意を領解し喜悦を仏に告白した。自分たちは小乗の涅槃の証りに甘んじて仏の証りには堪えないものと思いこみ、これを求めようとしなかったが、今声聞にも成仏の記別が授けられるのを見て、心に感謝を覚え、求めざるに無量の珍宝が得られた感があると言って、摩訶迦葉が「長者窮子の喩」(→ほっけしちゆ・法華七喩)を説くのである。本品に仏説は無い。なおこの喩えによって智顗は「五時教判」を立てたという。

 


 

薬草喩品 第五

信解品で四大声聞が開三顕一の理を領解し、譬喩をもって信解を述べたのであるが、これを聞いた仏は彼らの信解が正しく仏意に契って誤りないことを証明し、重ねて「三草二木の喩」(→ほっけしちゆ・法華七喩)を説いて開三顕一の旨を宣説する。この譬喩をもって仏の平等の慈悲と救済活動の有様とを説示するのである。


 

授記品 第六

薬草喩品の終りに「汝等所行是菩薩道」と説いた仏は、声聞に対し具体的に成仏の予言を与えるのが本品である。即ち摩訶迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、摩訶迦旃延は閻浮那提金光如来、摩訶目犍連は多摩羅跋栴檀香如来となるとの記別を与える。菩薩に対する授記は他経にもその例を見るが、声聞に対し成仏の記別を与えることは他経に全く例を見ないことで、法華経の一大特色である。譬喩品の舎利弗請問から本品までが譬説周の説法で、正説(仏の説法)、領解(説法を聞き自己の理解を述べること)、述成(領解に誤り無きを仏が証明すること)、授記(領解の徳により未来の成仏を予告し保証すること)の四段からなっている。

 


化城喩品 第七

中根の弟子に譬喩を説いて成仏の予言を与えた仏は、更に下根の衆生を救わんがために過去の因縁を説くのが本品である。以下人記品までを因縁周の説法という。仏と衆生の関係は、遠い宿世の昔から師弟の縁に結ばれて、法華経の仏種を下され久しい因縁を辿って今日に至ったもので、今番出世の仏の化導によって結ばれたような浅い縁ではないから、必ず成仏すると説くのである。即ち三千塵点劫という久遠の昔に、好成世界に大通智勝仏が出現した。この仏が出家する前に王城に残してきた十六人の王子は、父の成道を聞いて後を追って出家し、その弟子となり成仏の教を説くことを請うた。時に十方の梵天も仏に法を説くことを懇請したので、仏は四諦・十二因縁の法を説いた。十六王子は更に大乗の法を説くことを請うたので、大通智勝仏は法華経を説き禅定に入った。王子たちはこれを信受し、仏が八万四千劫の間禅定に住している時に人々のために法華経を説き大法益を与えた(法華覆講)。その後に十六王子は十方に分れて成仏したが、その中には東方の阿閦仏や西方の阿弥陀仏もあり、今の釈迦牟尼仏は第十六番目の王子で娑婆世界で成仏したのである。今日教化せる三乗の人々は大通智勝仏の時から釈迦牟尼仏と生々世々師弟となった因縁深い者である。既に成仏した者もあり、大乗を忘れて小乗に執する者もある。今の二乗は仏の最上の智慧を信解し得なかった未成仏の残された人々である。仏が三乗の教えを設けたのも小乗に執する人々のための方便であって、真の涅槃を得るのは唯だ一仏乗によってのみである。かくてここに「化城宝処の喩」(→法華七喩)が説かれるのである。本品に種熟脱の三益を説いて成仏の根拠を示し、仏と衆生の久遠の師弟・父子の関係を説示していることは教義的に重要なことである。



五百弟子受記品 第八

富楼那は化城喩品の因縁説によって、仏の教化が三世に亘ることを知り、仏の功徳を讃歎して領解を述べた。そこで仏は富楼那の本地を顕して、未来に法明如来となるであろうと成仏の記別を与える。次いで憍陳如を初めとする千二百の阿羅漢に普明如来の記別を授け、また優楼頻螺迦葉等の五百の阿羅漢も同一の普明如来の記別を許された。五百の阿羅漢は仏の授記を聞いて歓喜し、衣裏繋珠の喩(→法華七喩)をもって領解を述べるのである。



授学無学人記品 第九

仏の常随の侍者たる阿難と、仏の太子たりし時の長子の羅睺羅の二人を上首とする二千人の声聞の弟子たちも、成仏の記別を許されることを念願した。仏は阿難に山海慧自在通王如来、羅睺羅には蹈七宝華如来の記別を授け、続いて二千の声聞にも同一名号の宝相如来の記別を与えられた。その時に会座の八千の新発意の菩薩は、菩薩に記別が与えられないのに何故声聞に授記されるのかとの疑念を起こした。仏は阿難の本地を説き明かして深い因縁のあることを示し疑問に答えるが、この八千の菩薩の疑念は、本門の発迹顕本に至らぬば完全には晴れないのである。本品で迹門の正宗分は終り、三周説法も終わる。正宗分は声聞を対機として説法し、成仏の記別を与えたが、次の流通分からは菩薩が対機となっている。これは滅後の流通は菩薩でなければその任に堪えられないからである。



法師品 第十

法師品。本品から安楽行品までの五品は、迹門の流通分であると共に、本門へ移り行く過程をなす部分でもある。日蓮聖人は本品から嘱累品までの諸品を重視し、教義・信行を建立されたのである。法師品はまず仏は薬王菩薩を代表とする八万の菩薩に向って、仏の在世であれ滅後であれ、法華経の一偈一句を聞いて一念も随喜する者には悉く成仏の記別を与えるという迹門の総記別がある。次いで法華経を流通するために受持・読・誦・解説・書写する「五種法師」の修行、及び法華経を恭敬・供養する「十種供養」の功徳をあげ、これらの人々は既に大願を成就した大菩薩であって、人々はかくの如き大菩薩に仏と同様の供養をなすべきである。更に仏の滅後に竊かに一人のためにも法華経を弘める者は、この人は如来の使であり、如来の仏事を行ずる人であると称讃し、従って法華経を読誦する者を謗る罪は仏を罵しる罪よりも重い、と謗法者の罪を説く。そして滅後弘通の困難を説いて、この法華経は仏の説いた已説、今説、当説の中で最も難信難解の妙法であるから、この経を弘めるには如来の現在にすら怨嫉が多く、況んや滅後においてをや、と警しめている。故に仏は滅後にこの経を持ち弘める者を、衣をもって覆い、手をもって頭を摩で、常に如来と共に宿り、如来と共に住するであろう。そして変化の者を遣わしてその化導を護るであろう。最後に滅後の弘経者は、如来の室に入り(大慈悲心)、如来の衣を著け(柔和忍辱心)、如来の座に坐し(一切法空)て説くべきであると「弘通の方軌(衣座室の三軌)」を示されている。なお本品には「高原鑿水の喩」が説かれている。これは渇して水を求める人が高原を穿鑿して容易に水に達せず、掘り続けて漸く湿土を見て水近きにありと知る、というのであり、法華経を聞くことは難く、また信受することも難いことを述べたもので、高原は煩悩具足の人、水は仏性の水、即ち成仏に喩えたものである。



見宝塔品 第十一

本品は多宝塔中の多宝如来が迹門の真実を証明し、まさに本門に移らんとする過程をなす重要な品である。即ち迹門正宗分で仏在世の衆生の成仏は保証され、法師品で滅後の弘教者の方軌が示された。しかし滅後の衆生の成仏は如何なるものかとの疑念を解き、未来永遠の人々に成仏の保証を与えんとして本門寿量品の説法がなされるのであるが、その前提として宝塔の涌出があり、本品が説かれるのである。法師品が終ると同時に、高さ五百由旬の七宝の宝塔が大地より涌出して空中に居し、塔の中から「善哉善哉、釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり」との大音声が聞えた。その声を聞いて喜悦した人々の中に大楽説菩薩がいて、人々の意を知って宝塔涌現の因縁を仏に問うた。仏は、この宝塔は宝浄世界の多宝如来の舎利塔である。多宝如来は昔菩薩行を修した時に誓願を発し、成仏し滅度した後に法華経を説く処あらば何れの処なりとも我塔廟はその処に涌現して釈尊の法「皆是真実」の証明をなさんと誓われた。今も法華経の会座に法華経を聴かんがために涌現したのである、と多宝塔の因縁を説かれた。仏は多宝塔を開かんとする大衆の意を知って、多宝如来の誓願に従って十方世界の分身の諸仏を集めるため「三変土田」して通じて一仏国土となした。この時から霊山の会場は虚空の会場となり大衆は皆虚空に摂在されたのである。釈尊が右の指をもって宝塔の戸を開いた時、多宝如来は全身不散の尊容のまま安祥として姿を現し、半座を分かって釈尊を宝塔に招き入れ、二仏は並び坐した(二仏並坐)。その時、釈尊は大音声をもって「誰か能く此の娑婆国土において広く妙法華経を説かん(略)付嘱して在ることあらしめんと欲す」と、四衆に対し滅後弘経の勅宣があった(→さんかのちょくせん・三箇の勅宣)。法師品に続き本品では多宝如来及び十方諸仏来集の下に重ねて滅後の流通を勧募されたのである。次いで偈頌が説かれる中に、滅後に弘教する者は仏前において誓言を説けと三度諫めて流通を勧められるが、そこに「六難九易(→ろくなんくい)」が説かれ、「此経難持」の偈が説かれている。品末のこの偈は「宝塔偈」と称され盛んに読誦されている。なお宝塔涌現に証前・起後の二意があり、宝塔涌現して「皆是真実」の証明をなすのは、釈尊が迹門に説いた開三顕一の理の真実不虚を証するから「証前の宝塔」であり、宝塔を開かんとして分身の諸仏の来集となり(久遠実成の密示)、付嘱のための本弟子の召出となり、寿量品の久遠の開顕となるから「起後の宝塔」という。この寿量顕本の前提をなすことから本品を「寿量の遠序」という。



提婆達多品 第十二 

(法華経での女人成仏に関する教えは、勧持品第十三の品で、人間の女性に授記が与えられていることで実証されている。釈尊の意を重んじ真の平等大慧思想の観点から見れば、畜生(畜身)の竜女と女人とは区別すべきであると、当山の住職、太田日瓏先生は法華経を開顕されています。よってここではあえて太田先生の開顕を文中に示しておきます。)

 

本品においては、悪人提婆達多と※竜女の成仏を示して、法華経弘通の功徳の広大なることを証明し、滅後の弘経を勧奨すると共に、※悪人・畜類の成仏という法華経独自の一切皆成仏の規模が示されている。提婆は釈尊のいとこであって、一度は仏弟子となったが反逆して仏の教団を破壊せんとし、また阿闍世王を使嗾してその父王を殺逆せしめた悪人であるが、本品では釈尊は過去の求道において、阿私仙人の教えによって妙法蓮華経を得て遂に成仏することを得たと説き、阿私仙人は今の提婆達多であり、提婆は未来に成仏して天王如来と号すると説かれている。これが法華経の悪人成仏の教えで、善悪不二の根本を示したものである。次いで多宝如来の弟子の智積菩薩と娑竭羅竜宮で法華経を説いて教化し帰来した文殊師利菩薩の対話が記され、文殊の所化たる八歳の竜女の成仏が現証される。女人には古来より五障(梵天・帝釈・魔王・転輪聖王・仏身と成ることができない)ありと成仏を否定されていたが、本品では八歳の※幼稚である雌の畜身でありながら成仏したのである。これが※法華経が諸経において勝れている特色の一つでもある現身の成仏、いわゆる即身成仏が実証された教えで、日蓮聖人が諸経には、即身成仏の名はあるが、実証されていないので、これを「有名無実」であると主張し、法華経では、竜女が現身に即し成仏が説き明かされているので、誠の即身成仏の法門は法華経にこそあり、一切衆生の成仏はこの経に限ると論述されたのである。

日蓮聖人は、大人子供に関わらず、全ての老若男女、善人も悪人も、畜類さえも末法悪世の一切衆生のための法華経受持の勧奨であるとする(→にかのかんぎょう・二箇の諫暁)。




勧持品 第十三

(法華経での女人成仏に関する教えは、勧持品第十三の品で、人間の女性に授記が与えられていることで実証されている。釈尊の意を重んじ真の平等大慧思想の観点から見れば、畜生(畜身)の竜女と女人とは区別すべきであると、当山の住職、太田日瓏先生は法華経を開顕されています。よってここではあえて太田先生の開顕を文中に示しておきます。)

法師・宝塔品の流通の勧募と提婆品の事証の諫暁とに答えて、菩薩・阿羅漢等が滅後における弘経を誓うのが本品である。即ち薬王・大楽説等の二万の菩薩は、滅後悪世の教化し難い衆生に対し大忍力を起こして此の経を奉持し読誦し解説しよう、と此土娑婆世界での弘経を誓い、既に授記された阿羅漢や八千の声聞は、罪悪深重の娑婆世界における弘経の困難さを思って他の国土における弘経を誓うのである。この時、仏は養母の摩訶波闍波提比丘尼等六千の比丘尼に一切衆生喜見如来の記別を、妃の耶輸陀羅比丘尼に具足千万光相如来の記別を与えたので、比丘尼らもまた他土の弘経を誓うのである。※法華経に於ける成仏の実証の多くは、授記というかたちで与えられている。この品において女性に授記を与えられたことで他の男性の弟子と同じように女性も男性と平等に同じく女人成仏が実証されたのである。これは、法華経以外の一切経典では見る事ができない法華経が優れた素晴らしい特徴でもある。~※

仏はこれらの人々の誓願には答えず、座中の八十万億那由佗の菩薩を視て、暗に此土の弘経を勧められたので、菩薩等は如何なる迫害大難が襲うともこれを忍んで法華経を弘めよう、との誓願を二十行の偈に結んだのである。この「二十行の偈」(→にじゅうぎょうのげ)は日蓮聖人の色読法華の依文であり、この色読によって仏使上行の自覚は生れたのである。また聖人は「有諸無智人」等の句を、法華経弘通を妨げる「三類の怨敵」(→さんるいのおんてき)と指摘した。偈文の「我不愛身命但惜無上道」の句は、末代弘経者の覚悟を示した文で、聖人の死身弘法逆化折伏の行動を支えた文として有名である。

 



安楽行品 第十四

勧持品で諸の菩薩・声聞等は此土・他土の弘経の誓願を述べたが、仏は許可を与えなかった。そこで文殊は迹化の初心浅行、忍力未成就の菩薩のために滅後弘経の要心を問い、仏は身・口・意・誓願の「四安楽行」に住して説くならば、末代悪世において初心の行者も安穏に修行しうると教示されたのである。第一の身安楽行とは行処と親近処とに安住することである。行処とは内面的精神活動の規定で、諸法実相を悟りそれに随って実践することである。親近処とは修行の妨げになるものに接近しないという外面的規定で、国王・大臣らの権力者や悪思想家、漁・猟師、小乗の徒、女人等に親近せず、常に座禅を好み諸法の如実の相を観ずることである。第二の口安楽行とは他人および経典の過失を説かず、法師を軽んぜず、他人の好悪長短を説かず、求める人には小乗の教えでなく大乗のみを説いて仏の智慧を獲得せしむべきことである。第三の意安楽行とは嫉妬・諂誑・瞋恚・軽慢・邪偽の心を捨て、法を戯論せず、人々を疑悔せしめず、大慈悲心に住して一切衆生に平等に法を説くことである。第四の誓願安楽行とは、末世法滅の時に法華経を持つ者は、一切衆生をして一仏乗に入らしめんと誓願することである。この四安楽行に住してこそ初心浅位の菩薩も此土の弘経に堪うるのである。最後に仏はこの経の見聞し受持し難いものであることを「髻中明珠の喩」(→法華七喩)を説いて教示している。法師品から本品までの迹門流通分の五品は、いずれもこの経の弘通を勧めその方法を説いたのである。ここで迹門の説法は終る。



従地涌出品 第十五

本品の前半は本門の序分で、後半は本門の正宗分の略開近顕遠を説く法華経の中で最も重要な部分である。まず他方の国土から来った八恒河沙の数を越す多数の菩薩は、滅後の娑婆世界における弘経を願い出た。仏は「止善男子」とこれらの菩薩の願いを制止し、この娑婆世界には本来六万恒河沙の菩薩がいて滅後に広く此の経を説くであろう、と法華経を弘むべき者は迹化・他方来の菩薩を待たずとも、この娑婆世界に存在することを開示された。と同時に娑婆世界の大地が震裂して無量の菩薩が涌出した。この菩薩衆は仏と同様な尊貴の貌をし、娑婆世界の地下の空中に住していたが、今釈尊の命によって末代弘経のために涌出したのである。菩薩衆の上首に上行・無辺行・浄行・安立行の「四大菩薩」があって仏を問訊した。会座の八千恒河沙の菩薩は未見の大菩薩の出現に驚き、その疑いを晴らさんことを念じたので、弥勒菩薩が一同を代表して地涌出現の因縁を仏に問い奉った。以上が仏の久遠実成を開顕する本門の序分である。仏は弥勒に対し「精進の鎧を被(き)堅固の意を発すべし」と誡め、地涌の大菩薩は無数劫の昔からこれらの衆生を教化し来ったのであると説いて、伽耶近成の垂迹仏を開いて久遠本仏を顕す仏の「一大事因縁」の端緒を開いたのである。弥勒を始めとする大衆の疑念は晴れず、仏は成道以来四十年の少時に如何にして無量の大菩薩を教化し得たのか、例えば二十五歳の青年が百歳の老人を我が子なりと言い、老人も青年を我が父なりと言うを信じ難いと同じであると問うたのである(「父少子老の問い」という)。この問いに答えて寿量品の広開近顕遠は説き出されるのである。



如来寿量品 第十六

涌出品の弥勒の問いに答えるのが本品の直接の目的であり、同時にそれが法華一経の中心眼目でもある。聖人は一経の「肝心」であるばかりでなく、一代仏教の「眼目」であり「魂」であると、本品の重要さを説いている。弥勒の疑問に対して、仏は容易に答えず三誡三請重請重誡の丁重な儀式の後に、初めて仏は説法を続け真意を明らかにされるのである。方便品の場合と同じく丁重な儀式をもって説法が始められるということは、以下に説かんとする内容が如何に重要な意義をもつものであるかを暗示警告するものである。仏は、すべての世間の衆生は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて仏道を修行し伽耶城の傍において成道した新仏なりと思っている。然るに「我れ実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と述べて「五百塵点劫の譬」をもって成仏以来の久遠を説き、その久遠の時よりこの娑婆世界および他の無量の世界において衆生教化を続けてきたのである。その間に燃燈仏として現れ、また種々の仏の名号をもって出現し入滅を示したこともあるが、それは衆生の信、根等の利鈍を観察して説いた方便の説である。久遠以来、あるいは己身を説き、あるいは他身を説き、あるいは己身を示し、あるいは他身を示し、あるいは己事を示し、あるいは他事を示し(「六或示現」という)て衆生を教化救済したのであって、その所言には一つの虚妄も無い。何となれば「如来は如実に三界の相を知見」しているからであると「仏知見」の深遠広大を説く。そして我は実に久遠常住不滅の仏である。その如来が入滅を示すのは、常に如来を見て憍恣の心や厭怠の心を起す者があるから、難遭の想いや恭敬の心を起さしめるために、生死を示現するのであると「仏寿の長遠」「仏身の常住」が説かれる。ここに「良医治子の喩」(→法華七喩)をもって仏の寿命の久遠常住なることが示されるのである。更に「自我偈(→じがげ)」と称する偈文においてこの義が重ねて説かれる。この偈頌においては仏身の常住を重ねて説くだけでなく、その依報たる国土の常住を説き、娑婆即寂光浄土と開顕していることは重要である。本品は仏の寿命の久遠なることを開顕して、教化・慈悲・救済の久遠無量なることを説き明かしたものである。



分別功徳品 第十七

本品の前半は本門正宗分の続きで、後半から流通分となる。まず前半において、寿量品の仏寿長遠を聞いた菩薩や衆生が得るところの功徳を十二段階に分別する。これを本門の法身の記という。迹門の授記は二乗が未来において菩薩と同様に成仏することを認めた理の成仏であるが、本門の授記は仏の久遠を聞いて、弟子もまた久遠に達して実際に未来成仏の段階を昇っていくという事実の得益昇進である。法身の授記を得た大衆は歓喜し種々の瑞相を現じて会座を荘厳し、弥勒は偈をもって領解を述べる。ここで本門正宗分は終わり流通分となる。以下、不軽品までは法華経を弘める功徳の広大なることを説いて流通を勧めるのである。本品ではその功徳を現在の四信と滅後の五品とに分けて説き(→ししんごほん・四信五品)、久遠実成の意義と価値を繰り返し証明している。日蓮聖人は四信の中の初信(一念信解)と五品の中の初品(随喜品)とを重視して「以信代慧」を本門の正行とし、信心為本の宗旨を建立されたのである。



随喜功徳品 第十八

分別品で説かれた五品の中の初随喜品について、その功徳を弥勒に対し詳しく説いたのが本品である。如来の滅後、もし人あってこの経を聞いて随喜信受し、その力に随って父母友人等に演説すると、これを聞いた人々も随喜して他に説き、かくして次第に展転説法して第五十人目に至った時、第五十人目の人は転教の力なく随喜の心を生ずるのみであるが、この人の功徳の大なること次の如くである。即ち四百万億阿僧祇の世界の一切の生類に、その欲するままに八〇年に亘ってあらゆる財宝を布施し、晩年に仏法をもって教え導いて小乗の阿羅漢果を得させたとする。この人の功徳は莫大であるが、今の第五十人目の人が法華経を聞いて一念随喜の心を起したのに比べれば、百千万億分の一にも及ばない。まして最初に自らも信じ他をも信ぜしめた人の功徳は量り知れないものであると、更に仏は分座聞法、須臾聴法等の功徳について説かれている。



法師功徳品 第十九

本品は仏が常精進菩薩に対して、法華経を受持・読・誦・解説・書写する「五種法師行」を成就して得る功徳を説いて流通を勧めるのである。分別品の四信五品、随喜品の初随喜五十展転の功徳は、修行者の初行についてその因の功徳を説いたものであるが、本品は五品の修行を完成して得る六根清浄の果の功徳を説くのである。眼根清浄とは父母所生の肉眼をもって三千大千世界の下無間地獄から上有頂天に至る一切の事物、因縁等を悉く知見する八百の功徳を得るのである。耳根においても三千界の一切の音声を聞く千二百の功徳を、鼻根においては三千界の一切の香を聞く八百の功徳を、舌根においては一切の味を甘露とし、深妙の法音を出して一切を悦楽せしめる千二百の功徳を、身根においては清浄にして一切の色像を身中に写し出す八百の功徳を、意根においてはよく真実義を解了し、その所説は実相と違背しない千二百の功徳を得るのである。なお意根清浄を説く中の「若説俗間経書(略)皆順正法」の文は、聖人が日常生活そのままが法華経の修行であると檀越に法華受持の信仰を勧奨する依文である。



常不軽菩薩品 第二十

分別品後半以下の二品半に亘って滅後の法華経護持の功徳を説いて流通を勧めたが、本品では不軽菩薩の故事を示して、法華経の行者を毀る者の罪報と護持する者の功徳とを実証する。昔、大成国の威音王仏の時、滅後末法の世に増上慢の比丘達が大いに勢力を得て仏法を破壊していた。時に常不軽と名づけられる一人の菩薩があって、比丘らの四衆と出会うたびに礼拝して「我れ深く汝等を敬う、敢て軽慢せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と讃嘆し、但だ礼拝の行をのみなして経典読誦等を専らにはしなかった。四衆の中でこの礼拝行を喜ばない者は、瞋りの心を起して悪口罵詈し、杖木瓦石をもって打擲するものもあったが、常不軽はその行を止めなかった。常不軽の名はこれら増上慢の比丘達がこの菩薩を軽賤して呼んだ名である。常不軽の命終せんとする時、空中に法華経の偈を聞き、これを受持したので六根清浄の功徳を成就し、その結果、更に寿命を増して広く人々のために法華経を説き、これを聞いた増上慢の比丘達も皆信伏随順したのである。しかし彼らは軽賤憎嫉の罪によって三宝の名を聞かず無間地獄の大苦悩を受けたが、その罪を畢って再び常不軽菩薩の教化を受けて成仏が決定した。この不軽菩薩は即ち今の釈迦牟尼仏であり、増上慢の比丘達は、この会中の跋陀婆羅等の五百の菩薩と師子月等の五百の比丘と尼思仏等の五百の優婆塞である。かく説き終えて仏は諸の菩薩に向って滅後の法華経受持を勧めるのである。常不軽菩薩の行為は「折伏逆化」であって、人々をして悪口罵詈せしめることによって法華経と結縁せしめ、成仏の種を植えしめるのである。日蓮聖人が末法の時代における弘経の方軌を「折伏下種」としたのは、この不軽菩薩の宗教活動を継承したものである。



如来神力品 第二十一

本品から勧発品までの八品は本門流通分の中の付嘱流通であるが、本品と嘱累品は嘱累流通といわれ、流通分の大事たる法華経の付嘱が説かれている。本品は滅後末法の立場、ことに聖人の立場から見れば、一経中で方便・寿量二品にも劣らぬ重要性をもつ。神力品では涌出品において特に末代弘経のために召出した地涌の菩薩に妙法を付嘱し(別付嘱)、嘱累品では一切の菩薩に滅後の弘経が委嘱された(総付嘱)。従って滅後末法に出て、法華経の行者として弘経の大任に当った聖人にとって、この神力品は特別の意義を有するのである。まず品の初めに地涌の菩薩は「仏の滅後に広く他のために此の経を説き、また自分のためにも大法を受持せん」と誓った。仏はこの大法を地涌の菩薩に付嘱せんとして十種の大神力を現した(→じゅうじんりき・十神力)。この未曽有の大神力を現して、仏は上行等の本化地涌の菩薩に向って、かくの如き不可思議の諸仏の神力をもってしても法華経の功徳を説き尽すことは不可能であると此の経を称讃し、「以要言之」と一経を「四句の要法」に結んでこれを付嘱するのである。これを「結要付嘱」という。末法の時代に出現して本化上行の自覚に立った聖人が、妙法蓮華経の五字をもって一宗を建立し、唱題の教えを広宣流布したのはこの結要付嘱に基づくものである。付嘱が終って、仏は法華経の在る処、修行する処は、園の中、林の中、樹の下、僧房、在俗の家、殿堂、山谷、曠野の何れの処でも塔を建てて供養すべきであると勧奨された。それはこの処は即ち諸仏の降誕・成道・転法輪・入涅槃の道場(「四処の道場」という)であるからである、と滅後の弘経伝持を命じている。偈文において「能持是経者」と持経者および弘経者を称揚している。なお偈文の「於如来滅後(略)随義如実説」の文は、聖人独自の教判である五義判の根拠となり、「如日月光明(略)能滅衆生闇」の文は「日蓮」の御名の出処である。



嘱累品 第二十二

神力品では地涌の菩薩の発誓に伴って付嘱が説かれたが、本品では一切の無量の菩薩に対して此の経を付嘱される。仏は多宝塔の会座から起ち上がり、右手をもって無量の菩薩の頭を三たび摩でて「我れ無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等まさに一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし」と三度説かれた。諸の菩薩は付嘱を受けて歓喜し「世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし」と三度び誓ったのである。滅後のためにこの経を付嘱することはここに終り、仏出世の大事は略完了した。釈尊は多宝塔を出て宝塔の扉は閉され、開塔のために集められた分身の諸仏も各々その本土に還帰した。従って宝塔涌現に伴って三変土田した法華の会座は、虚空会から再びもとの霊山会に復帰したのである。なお多宝仏は薬王・妙音二品にも現れるから、閉扉のまま多宝塔は経末まで証明のために存在する。ここまでで法華経の説法の大体は終り、以下の六品は流通弘経の事証をあげて滅後の行者を勧奨するのである。



薬王菩薩本事品 第二十三

本品は薬王菩薩の往事の苦行をあげて行者を勧奨する。即ち薬王菩薩が過去世に一切衆生喜見菩薩として、日月浄明徳仏に法華経を聞いた恩を報ずるため、臂を焼いて供養した因縁を述べ、法華経受持の功徳を説いている。これを捨身(焼身)供養という。かように法華経を受持する者の功徳を称歎された仏は、一切江河の中に海第一なり等の十の喩(十喩)をもって「法華最勝第一」なることを高調している。更に法華経が一切衆生の苦悩を救い楽を与える利益を十二の喩をもって説いている。即ち渇乏の者が清涼地を得るが如く、寒き者が火を、裸の者が衣を、商人が主を、子が母を、渡りに船を、病に医師を、暗に燈を、貧しきに宝を、民が王を、賈客が海を得たるが如く、炬が闇を除くが如く、この経は生死の苦縛を解脱せしめるというのである。なお本品の「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提」の文にある「後五百歳」を、日蓮聖人は五箇の五百歳の第五の五百歳たる「末法の初」を指すものと解釈し、勧発品の「後五百歳濁悪世中」の文と共に、法華経の末法流布の必然を証明し、聖人の末法出現を意義づける文として重要視されている。



妙音菩薩品 第二十四

薬王菩薩は焼身供養によって現一切色身三昧を得たが、本品では妙音菩薩がこの普現三昧に住して三十四身を現して広く十方世界に法華経を宣布することを説くのである。即ち東方浄光荘厳国の妙音菩薩が霊鷲山に来って、釈迦牟尼仏を供養し問訊し、また多宝仏をも礼拝し尊敬し、法華経を聞き、文殊と相見えたことを示して、法華経の説法の重大な価値を有することを説く。次いで仏は華徳菩薩の問いに答えて妙音菩薩の本事を説かれる。即ち妙音は雲雷音王仏の時、諸の供養をなして徳本を植え、現一切色身三昧を証得し、今、浄華仏の国に生れて神通力を得ているのである。この菩薩は種々の身を現して処々に諸の衆生のためにこの経を説いて衆生を救護するのである。これを妙音の三十四身の変化という。この説法を聞いて会中の者は皆、現一切色身三昧を得、妙音菩薩はその師命を果たして本国に還帰した。



観世音菩薩普門品 第二十五

本品は西方の観世音菩薩が現一切色身三昧により、娑婆世界に遊び三十三身を現して、苦難の衆生を救済することを説き法華経の流通を勧めるのである。仏は観世音の名の由来を説いて、諸の苦悩を受けんとする衆生が、この観世音菩薩の名を聞いて一心にその名を称えるならば、菩薩は即時にその音声に応じて皆苦悩を解脱することを得せしめるからであるという。即ち口に観音の名号を称えれば火難・水難・羅刹難・刀杖難・鬼難・枷鎖難・怨賊難の七難を脱れ、意に観音を念ずれは貪・瞋・癡の三毒を離れ、身に観音を礼拝すれば二求両願を満足することができる。そしてこの菩薩は衆生を引導せんがために種々の身を示現し説法し救済するのである。観世音菩薩は三十三身普門示現して、何なる怖畏急難の中にも、無畏を施して安穏ならしめるから、娑婆世界では施無畏者と号するのである。かように観音の神力と慈悲の広大を示して、仏の神力および慈悲はそれより遙かに広大であることを示したものである。



陀羅尼品 第二十六

陀羅尼とは総持と訳し咒のことである。咒は悪を遮し善を持する力を持つからである。本品では二人の菩薩と二人の天王と十羅刹女とが、各々咒を唱えて末代悪世に法華経を弘通する人を守護せんと誓願するのである。初めに薬王菩薩が六十二億恒河沙の諸仏の所説と伝えられる咒を唱えて「この法師を侵し毀る者は則ちこれらの諸仏を侵毀する者である」と説いて法師の擁護を誓い、次いで勇施菩薩も法華経を受持する者を擁護しようと陀羅尼を説く。毘沙門天王は衆生を愍み法師を擁護せんと咒を唱え、自らこの経を持つ者の住する百由旬の内に諸の患え無からしめんと誓い、持国天王も法華経受持の者を擁護せんと四十二億の諸仏の所説の咒を説くのである。また十羅刹女と鬼子母とその子等は、法華経を受持する者を擁護せんと誓って咒を説き、寧ろ我が頭の上に登るとも法師を悩ますなかれ、もし我が咒に順わずして説法者を悩乱する者は頭七分に破れるであろう、などと誡める。仏は法華の名を受持する者を擁護する功徳すら量るべからざるものがあるから、まして法華経を受持し供養する者には、これを擁護すべしと羅刹女等に命ずる。なお陀羅尼咒は秘密の力を有するとして翻訳されず、音のままを伝えている。



妙荘厳王本事品 第二十七

本品は実際修行の善知識をあげて行者の守護を示すのである。過去世の雲雷音宿王華智仏の時に、外道の信者である妙荘厳王と、仏に帰依している浄徳夫人および浄蔵・浄眼の二子がいた。二子は父王を引導せんとして種々の神変を示し、父は遂に旧信を捨てて倶に宿王仏の許に往き、法華経を聴聞して大利益を得、王は夫人・二子と共に出家し、八万四千歳の間法華経を修行して一切浄徳荘厳三昧を得た。妙荘厳王は今の華徳菩薩であり、浄徳夫人は荘厳相菩薩であり、二子は薬王・薬上の二菩薩である。この厳王品を聞いた八万四千の人々は法眼浄を得ることができたというのである。本品は妙荘厳王の本事を明かすことによって、仏に値うこと難く、法華経を聞くこともまた難く、仏と法華経に値うためには、父子の別なく互いに善知識となって引導すべきことを説いたものである。



普賢菩薩勧発品 第二十八

薬王品から厳王品までの五品は、苦行や三昧や総持や誓願を説いて、化他のための流通を勧奨したが、本品は自行の立場から流通を説くのである。即ち普賢菩薩が来世の法華経を修する自行の者を守護するのである。普賢菩薩は東方の宝威徳上王仏の国より神通を現して娑婆世界に来現し、霊鷲山に至って釈迦牟尼仏を礼拝し、法華経を聞かんと願ったので、仏は普賢菩薩のために重ねて要約して法華経を説いた(本品を「再演法華」という)。仏は一には諸仏に護念せられ、二には衆の徳本を植え、三には正定聚に入り、四には一切衆生を救う心を発す、この四法を成就すれば滅後においても必ず法華経を得るであろうと説かれた。「四法成就」の説を聞いて普賢菩薩は、末法悪世にこの経典を受持する自行の徒を守護するために、行者の所念に応じて六牙の白象に乗ってその人の前に現れ、示教、利喜することを誓い、かつ咒を唱えて、行者の非人に悩まされ女人に惑わされることから救うと述べた。次いで釈尊と普賢菩薩とは、法華経を受持する者の功徳を述べ、最後に法華経受持者を軽毀する者の罪報をあげて、白癩の病を得る等と誡められている。この品を説いた時、無量の菩薩は施陀羅尼を得、普賢の悟りを得た。普賢品を説き終った時、一切の大会は皆歓喜し、仏語を受持して礼をなして霊鷲山を去り、法華経説法の大会は閉じられたのである。


以上が二十八品の大意を概説しましたが、仏陀観を初めとする教理的内容や虚空会の意義についての宗義的解釈等々、深重な意義を様々有する事柄もありますが、ここではすべて省略し、経文上の教説の展開を紹介するに留めました。教義的内容については、当山の住職より法華経講話会などにご参加いただきお聴きください。

 

当山の住職、太田日瓏先生は、法華経の文字、六万九千三百八十四文字の教えを理解する事はもちろんのこと、法華経には文字だけでは見えない、聴こえない教えがあるとお教えくださっています。これらの文字以外の法華経の教えを、ご本仏様のお声で聴こえてくるようになる事が、法華経への信仰を極める事であるとお示しくださっています。法華経に説き明かされている「法華最第一」の理由がさらに深まります。このような事をお示しいただく大法を持たれる法華経の導師(住職)は、他を探しても出会う事ができません。真の法華経を求める求道者の方は、ぜひ法華経講話会へご参加ください。

 


2017年02月10日