平成28年歳末29年迎春の大祭を終えて

今年も前年と同じく、暖かな正月三ヶ日で、振り返れば今季は未だ境内の睡蓮鉢に氷が張る事の無い日が続くなか、無事に大祭を終える事ができました。
これもひとえに佛天のご加護を賜り天候に恵まれ、月天子、明星天子の輝きの下で、大祭を行えた事に深く諸佛諸天善神に感謝報恩の誠を捧げます。

また大祭行事全般に渡り行事を支えて頂いた行事へ参加申し込み頂いた有志の妙蔵寺の檀信徒達、お手伝い頂いた奉仕の檀信徒に心から感謝します。

 

今年も大勢の参詣者約三百人の人で境内を埋め尽くした。暖かな大晦日とはいえ夜半ともなればそれなりに寒い時間帯でもあったが、何よりも人々の顔に笑顔が輝き、それが何よりも一層心が暖まり寒さを吹き飛ばす思いだった。

今年の水行参加者は住職を含め9人の行者で奉修した。

それを見護っていただく大衆の善男士、善女人と共に、水行を修める者、見護る者、それぞれが同じ思いで尊い修行を一所同心で行った事と思う。

昨年は、10回を成満した川﨑行者が今回、11回目を奉修した。

今年はじめて参加した坪井行者は、ご自身が50歳という事を機に、人生に新たな挑戦を勇ましく挑んだ姿はまさに法華経の経文の勇猛精進の如くであった。

そして今回、特筆すべきは、伊藤行者と奥山行者の2名の行者が5回目を成満した。

5回ともなるとさすがに行者らしい風格が具わって、功徳力を発しているのが伝わってくる。水の被り方もすでに立派な行者そのものだった。

水を被る時だけが行者なのではなく、この5回目を迎えるまでの期間、その精神を磨き上げてきたことの顕れもあることであろう。

引き続き日頃の生活に於いても行者としての精神を何時までも持ち続けていただきたい。そして行者達、自分たち自身の事が書かれている法華経への信仰をさらに深めてご本佛さまとの絆を確かなものにしていただきたいと願う。

 

また今年は、最年少15歳の弟子、雄翔が水行を奉修した。今年から総本山で修行に行きたいと本人が志した。思えば彼がまだ9歳になって2ヶ月くらいの時、本人の意志で僧侶を志す発菩提心を胸中に抱き、得度度牒式を行うも、その後、京都の本山 立本寺で夏休みの1週間を生活し、全5回の僧風林という小僧修行を今日まで行った。1回目の僧風林の修行を終えた時に、彼の母親に「修行っていいもんだな。来年も行きたい。」と語ったそうだ。彼には彼なりの何か本願と宿命を背負っている事なのだろう。

それからは当山の行事でも聲明、首座(金座と木座)太鼓などを任すことができるようになり、昨年、平成28年の夏の盆施餓鬼会では大人の役僧式衆の一端に加わり本鈸(日蓮宗では鈸を回すが、鈸同士を離した状態から回し、回転が加わった鈸の双方を合わせる難易度の高い儀式作法)を、妙蔵寺で私が指導し、大抵は最低でも1ヶ月の練習が必要であるのだが、たった3日で習得して本番へ挑み、初めてにしてはとても安定した鈸であった。しかしたった3日でとは簡単な風に言うが、3日間休む間もなく鈸を持ち続け、手の皮を擦りむき、腕が筋肉痛になってパンパンに張りながらも、鈸を持ち続けた。何度も何度も回し続け、その途中には上手くいかないと悔しさから挫折心と懸命に葛藤したことであろう。そうした彼の中で起きている彼しかしらない心中の険しい道のりを乗り越え花を咲かせることができたと言える。その花を自分で感じた時、喜びと自信とさらなる向上への意欲が沸き起こった事だろう。

無論、これもひとえに今まで僧風林での修行の積み重ねがあった事のゆえであろうことは違いない。

だが道はこれで満足しては先に進めないのでさらに鍛錬を忘れないでほしい。

今回の水行は、これまで妙蔵寺の佛飯をいただき成長してくることができた事への報恩感謝の誠を捧げたものだった。これにより今後、師匠、親元から離れ、険しく困難な人生の道のりがあっても、それを乗り越えられる不屈の精神と求道心をご本佛、久遠のお釈迦様と日蓮大聖人から、己が身に与えられ修めたことであると確信している。

南無妙法蓮華経と唱えるとき、必ずや法華経の諸佛諸天善神が来臨し擁護下さるであろう。


修行という尊い経験は、己の人生の未来、将来へ持っていく事ができる唯一の宝であると明言しておく。

この宝をさらにさらに増やしていってもらいたい。


 

来年は10回奉修成満の行者が3人いる。そのうち1人に女性がいる。


求道求法の精進を忘れぬ行者達には、御本佛様の大慈大悲の御加護と法華経の功徳力が現前せられることを。

南無妙法蓮華経


合掌稽首
太 田 日 瓏



大祭風景

※写真をクリックすると文字が重ならず見る事ができます

 

 

 

2017年01月04日