本尊


一般には礼拝の対象として安置する主要な尊像、修行の境的として安置する三宝諸尊をいう。日蓮聖人は本門の法華経を仏教の中心とし、「本門の本尊」への帰依を説いた。仏教展開史上、数多くの仏像が造立され、法報応三身論が説かれて仏格の検討が行われ、各宗はそれぞれの本尊を立てている。しかしながら、それらはややもすると仏陀を一般化し、抽象的に論じるきらいがある。日蓮聖人が語り示される本門の本尊は、久遠実成の教主釈尊の救済を受容するリアリティーを伴っている。日本においてヴィヴィッドな感覚をもって本尊の救済を得ようとするのは、おそらく鎌倉時代以降であろうといわれるが、日蓮聖人の「本門の本尊」はそこに全宇宙的な感覚を伴っている。
〔本尊の定義〕日蓮宗において一般的にいわれる本尊の定義は、根本尊崇・本来尊重・本有尊形ということである。これは仏教一般の解釈を日蓮宗の学匠が検討して来たものを、優陀那日輝(一八〇〇-五九)が『妙宗本尊略弁』等に収約したものである。(1)根本尊崇(こんぽんそんすう)とは、本門の本尊を修行の根本とし所依とし、最も尊崇するという意義である。仏法僧の三宝を尊崇するけれども、そのなかで根本に尊崇するのである。(2)本来尊重(ほんらいそんちよう)とは、本門の本尊が無始久遠(永遠なる過去)から、法爾として最も尊重しなければならぬ存在としてあるという意義である。(3)本有尊形(ほんぬそんぎよう)とは、本門の大曼荼羅本尊の全体が久遠の尊形であり、常住の尊相であるという意義である。そして、これらの必要欠くべからざる意義を全部そなえているのは、本門の本尊を措いてはないことが強調されている。
〔久遠実成の釈尊〕法華経如来寿量品第一六において教主釈尊は五百億塵点劫以来の久遠実成の仏陀であることが明らかにせられる。日蓮聖人はその久遠実成の教主釈尊の救済を末法に伝えることを誓願せられた。本門の本尊を久遠実成の釈尊とするということは、教主釈尊の救済を具現するということと同義なのである。『開目抄』に「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕はす。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(定五五二頁)と説くところはこの点を明かすところにあろう。本門十界の本因本果は、即ち十界互具・一念三千の救済の世界として説かれるのであり、それはとりもなおさず久遠実成の教主釈尊の救済の世界なのである。そして、このような教主釈尊の救済の永遠性の前には、法華経以前の諸仏はすべて権仏(ごんぶつ)であって本仏ではない。即ち華厳経の毘廬遮那仏、阿含経の丈六の小釈迦、阿弥陀経の阿弥陀仏、大日経の大日如来等は、如来寿量品に明らかにされる久遠実成の仏陀の投影である。それはあたかも天月が影を水面に浮べるようなものである、と日蓮聖人は述べられる。


補足

〔諸宗本尊の否定〕日蓮聖人はこの理解を諸宗の本尊について図示される。それによると、倶舎宗・成実宗・律宗はいずれも丈六の小釈迦、即ち劣応身釈迦如来を本尊とする。華厳宗の本尊は廬遮那報身である。法相宗・三輪宗ともに勝応身の釈迦如来を本尊とする。以上は、いずれも久遠実成の釈尊から見れば、その仏格を一部分しか顕わしていない仏格である。真言宗は大日如来を、浄土宗は阿弥陀仏を本尊とするが、これらはいずれも久遠釈尊の分身である。それに対して、天台宗の御本尊は久遠実成実修実証の仏、釈迦如来であるというのである(『一代五時図』定二三四二頁-)。かくして如来寿量品において久遠実成が明らかにされて、十方の諸仏とその弟子は、いずれも釈迦如来の所化(しよけ)であることが明らかになる。ところが天台宗以外の諸宗は、このような久遠実成の釈尊と十方分身諸仏との関係を確認できず、見誤っていることを「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり」(『開目抄』定五七八頁)と断言せられるのである。
〔釈尊立像〕日蓮聖人は生涯にわたって立像の釈尊を随身仏として奉持せられた。そのことは日位筆「大聖人御葬送日記」(『日蓮宗宗学全書』第一巻五五頁)中、「御遺物配分事」の条下に「御本尊一体釈迦立像 大国阿闍梨」の記述によっても確かめられることであり、日蓮聖人滅後、日朗上人に譲られたのである。聖人在世中の記事としては、富木常忍に宛てた『忘持経事』に「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し」(定一一五一頁)等の叙述によってそれを確かめることができる。日蓮聖人は伊豆に流罪せられたとき、立像の釈尊を感得したものと伝えられている。これに対し、最近、既に立教開宗の際から立像釈尊を奉持されていた必然性という観点からの考察がある(高木豊『日蓮』、同「清澄の日蓮」〈『金沢文庫研究』12-6〉)。日蓮聖人が檀越に対して立像釈尊像を開眼供養した例としては、『真間釈迦仏御供養逐状』(文永七年=一二七〇=ただし弟子の伊予房による開眼を指示)、『四条金吾釈迦仏供養事』(健治二年=一二七六)『日眼女釈迦仏供養事』(弘安二年=一二七九)に述べられていることが挙げられる。これらは後述する大曼荼羅授与の数とは比較にならぬほど少ない例であるが、ともかく日蓮聖人が教主釈尊の立像を奉安し、また開眼したことが確かめられる。そして、この久遠の教主の立像は本化の四菩薩を脇士として添えることにより完成される。これを一尊四士の立像とよぶが、その典拠は『観心本尊抄』の本尊段・弘通段にある。更に教主釈尊と法華経証明の多宝如来とが二仏竝坐し、本化四菩薩が脇士となる木像を二尊四士とよぶが、文永十年(一二七三)五月一七日の『諸法実相抄』、健治二年(一二七六)七月二一日の『報恩抄』に典拠が求められる。二尊四士の形式の木像化は日蓮聖人入滅後五〇年ほどして造立される。(影山堯雄「御本尊造立史」〈『大崎学報』一〇二号〉)
〔大曼荼羅の顕現〕教主釈尊への帰命は、木創造立・開眼によって明らかにせられたが、日蓮聖人の宗教的境地のたかまりと共に、独特の大曼荼羅が初めて顕現されたのは、竜口法難後のことである。これらのうち、日蓮聖人の真筆が現存するものを整理したのが、片岡随喜居士謹集の「大曼荼羅集」(立正安国会発行、のち、『日蓮聖人真蹟集成』第一〇巻に収録)である。大曼荼羅の解釈を尋ねれば、それ自体が解釈史として大きな課題となるが、極めて単純に考えれば、大曼荼羅は法華経虚空会上のすがたである。即ち『観心本尊抄』には「其の本尊体たらく、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は、万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表するが故也」(定七一二-三頁)と述べられている。日蓮聖人がしばしば語られるように、法華経は釈迦・多宝・分身諸仏という三仏が集会して明らかにせられた教である。ということは虚空会上のすがた(相)は久遠実成の釈尊によって、末法万年のために、南無妙法蓮華経が仏種として下され、その救済の永遠性・普遍性が虚空会上に集会した諸仏・諸菩薩・諸尊等によって証明されていることを明らかにしているのである。そこでは十界は羅列されているのではなく、久遠釈尊の救済の世界が見事に示されているのである。『報恩抄』に「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」と述べ、直ちに「所謂宝塔の内の釈迦・多宝・外の諸仏、竝に上行等の四菩薩脇士となるべし」と象徴的に述べられるゆえんがある。ともあれ、紙墨によって法華経の救済の世界が一幅の紙上に緊密に顕現されているのである。この大曼荼羅は前述のように竜口法難後に図顕された。大曼荼羅の中央には南無妙法蓮華経が大書されている。そこで後に立像の釈尊を仏本尊とよび、大曼荼羅を法本尊とよぶならわしとなった。ところで佐前の『唱法華題目鈔』に「法華経を信ぜん人は(略)第一に本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書て本尊と定むべし。法師品竝に神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書ても造ても法華経の左右に之を立て奉るべし」(定二〇二頁)とあるところから、日蓮聖人は佐前においてすでに南無妙法蓮華経の一遍首題を本尊とすることを明らかにせられたものとし、これを大曼荼羅の法本尊と同系と見るのである。これらの本尊の表現を『日蓮宗読本』は、(1)首題本尊、(2)釈迦一尊、(3)大曼荼羅、(4)一尊四士、(5)二尊四士というように分類している。そして、(1)(3)を法本尊、(2)(4)(5)を仏本尊というように集約している。これらの相互の関係については、すでに述べた通りであるが、本尊解釈史上、仏本尊を中心と見る仏本尊論者と、法本尊を中心と見る法本尊論者との間に、いわゆる法仏論、教観論がたたかわされたことは周知の事実であり、また次第に相互の論旨が精細になっていったのである。第二次世界大戦後にもこれらの論がたたかわされたが、これに対し立像釈尊と大曼荼羅という表現の違いにもかかわらず、その原理は一であるという解釈が茂田井教亨によって「本尊の原理と形態」(『大崎学報』一一六号、のち『観心本尊鈔研究序説』に所収)として発表された。
〔本尊の原理と形態〕一般に「本尊」の意味は可視的なものに限定されているが、実は、その本尊を信仰し礼拝する者の信仰の要請がその前提にあり、勝義の本尊は常に礼拝する者に働きかけ呼びかけてくるものなのである。従って本尊は自己を離れて対象的なものであると同時に、自己に相即するものでなければならず、しかしまた自己に相即するということは同時に自己外超出として他者でもなければならないのである。日蓮聖人は『観心本尊抄』において末代衆生救済の根拠をさぐって、凡心に内在具する仏界を論じながら、超越具の仏界を論じ、そのような仏界の救済は、南無妙法蓮華経を受持する当処に完結することを述べられている。これを受持具といい、その当処を事の観心の世界とし、それは法華経を明鏡とする絶対憑依によって可能になるという。即ち勝義の本尊は事一念三千観と相即して語られるものでなければならず、法華経の玉である一念三千を具する南無妙法蓮華経を仏種として受持することによって約束される救済の構造と一体でなければならないのである。そこに、あえて『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という題号が用いられるゆえんがある。ところで日蓮聖人遺文のなかで本尊という語彙(または義意を示す表現)は九〇ヵ所以上ある(望月歓厚『日蓮教学の研究』)が、今、『観心本尊抄』の六文を取上げると、自ら一念三千論に支えられる本尊原理論から、日蓮聖人独自の本尊の収約へと論述が進められていることがうかがえる。
 (一)「(略)草木の上に色心因果を置かずんば、木画の像、本尊と恃み奉ること無益也」(定七〇三頁)とは、第一〇番問答に当る。即ち非情のものの成仏を論じつつ、草木の上にも色心を置く天台の一念三千義があってこそ、木画の像を本尊とすることが保証されることを述べる。
 (二)「(略)詮ずる所、一念三千の仏種に非ずんば、有情の成仏、木画二像の本尊、有名無実なり」(定七一一頁)とは、第一九番問答の結語で、(一)の意をうけて、一念三千の仏種をもたない本尊は偶像に過ぎないのであり、従って有名無実の存在となってしまうということである。日蓮聖人が一念三千を重視しつつ、(一)(二)によって本尊原理論を明らかにするのには二つの意味がある。第一には、一念三千の法数の構成から依報・正報の不二(依正不二)という理論を論じ、本尊成立にはこれがまず基盤となるということである。第二には、一念三千が「真の一念三千」として完成されるのには、四菩薩を脇士として発迹顕本した久遠の円仏の決定的瞬間であり、その時空を超えた無限の世界こそが、本門の教主釈尊を中心とした法華経の世界なのである。ここに一念三千を本尊設定の原理とするゆえんがある。このような原理論があって、次第に具体的な本尊が示されるのであり、いわゆる形態論が展開されるのである。
 (三)「此本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶、文殊、薬王等にもこれを付属せず、何に況んやその已下をや。但、地涌千界を召して、八品を説いて、これを付属したまふ。其の本尊の体たらく(略)」(定七一二-三頁)。以下の文章は本項目の〔大曼荼羅の顕現〕のところで既に掲げている。この文章の直前に、いわゆる四十五字法体段の文章がある。「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず。所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり」(定七一二頁)。これは本門の身土三千の常住を明かす主体的な世界であるが、三千常住なることは教主釈尊の絶対救済なることによって確定されるのであって、即ちこれを教主釈尊の純粋能動の世界に転換し、「此本門肝心」「南無妙法蓮華経五字」という表現のように教格化して、客観化し普遍化されるのである。言い換えるならば、内在的に妙法五字の受持によって到達した信体験が、超越的に五字に遡源し超出することによって、万人に体験され、所有されるところの教格化した五字の世界となるのである。本門八品(従地涌出品から嘱累品まで)のなかで、従地涌出品の後半・如来寿量品・分別功徳品の前半(これを一品二半とよぶ)の世界は、真実の一念三千が成就する決定的瞬間であり、五字に象徴される世界である。そして、このように能所一本化した絶対現在としての顕本の世界が、更に普遍化を遂げる客観的世界となるのは、如来神力品・嘱累品に示される付嘱を待たなければならない。今の(三)の文章は、この法華経の世界の原理性の追求から、一転して日蓮聖人の信仰の世界のヴィジョンとしての形相性の把握へと移行する。この『本尊抄』が執筆されて後、五月の閏月を経て、七月八日に初めて開顕されたといわれる「佐渡始顕の大曼荼羅」以降の大曼荼羅は、このような法華経の世界のヴィジョンを書きあらわしたものである。
 (四)「問ふ。正像二千年の間は、四依の菩薩ならびに人師等、余仏・小乗・権大乗・爾前迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊ならびに四大菩薩をば三国の王臣、倶に未だこれを崇重せざるの由、これを申す。此事粗これを聞くといえども、前代未聞の故に耳目を驚動し、心意を迷惑す。請ふ、重ねてこれを説け、委細にこれを聞かん」(定七一三頁)。(一)-(三)をもう一度ふり返って見ると、(一)(二)は本尊における原理論であり、(三)は日蓮聖人の信仰的世界の把握が語られた上で、そのヴィジョンが表現される形態が述べられるに至る。そして(四)(五)(六)はその形態の問題が展開されて行く。(四)では末法に開顕される本尊は「本門寿量品本尊ならびに四大菩薩」であると述べられている。これは「寿量仏」ともいわれるのであって、一念三千が真実に成就される決定的瞬間(原理性)が、時間的にも空間的にも絶対超出の相猊(形相性)をとるすがたであり、その背後には前述した第二〇番問答の答文後尾に示される述語的・象徴的ヴィジョナルな世界があり、それが主語的に名詞されたのが「本門寿量品本尊ならびに四菩薩」という一尊四士の形態なのである。
 (五)「像法の中末に観音・薬王、南岳、天台等と示現し、出現して、迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して、百界千如一念三千、其の義を尽せり。但だ理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字、ならびに本門の本尊、未だ広くこれを行ぜず」(定七一九頁)。
 (六)「此時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて一閻浮提第一の本尊、此国に立つべし。月支・震旦に未だ此本尊有さず。日本国の上宮、四天王寺を建立す。未だ時来らず。阿弥陀他方を以て本尊と為す。聖武天皇、東大寺を建立す。華厳経の教主なり。未だ法華経の実義を顕さず。伝教大師、ほぼ法華経の実義を顕示す。然りと雖も、未だ時来らざる故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕さず。所詮、地涌千界の為に此を譲り與ふるなり」(定七二〇頁)。(五)の「本門本尊」、(六)の「一閻浮提第一の本尊」等の表現は、(四)の「本門寿量品本尊ならびに四大菩薩」と同意であると見られる。その上で(五)と(六)の相違を述べるならば、(五)は日蓮聖人の師自覚の上から「時」・「機」について題目・本尊の未弘・已弘との差違を論ずるから「本門の本尊」といい、(六)は師自覚の上から密釈戒壇の意味を含めた。「国」に約して本尊を明らかにするために、「本門の釈尊の脇士となり一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」と尅定するのであり、この本尊が仏教史上、未顕であることを挙げて「本門の四菩薩を顕はさず」と結文しているのである。『本尊抄』における以上のような本尊の表明は、『報恩抄』の「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂、宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(定一二四八頁)と符節を合せるものであり、ここにいう「本門の教主釈尊」は、『本尊抄』の「寿量仏」「本門寿量本尊」「本門本尊」「本門釈尊」と同意語である。また「所謂」以下の文節は『本尊抄』中、前に(三)として掲げた「左右釈迦牟尼多宝仏」以下(定七一二-三頁)の文節に該当する。この両者の表現の違いをどのように理解するかは大きな問題となっており、同致論は大曼荼羅を人本尊と認める学者によって主張されて来たのであり、他方では大曼荼羅の中央の南無妙法蓮華経は教法であって人格体そのものではないとの異見がある。しかし、このような本尊表現はその形態の上でだけ論じてはならないのであって、信仰の本質構造から考えなければならない。即ち本尊が設定されてからの信仰ではなく、信仰の基盤そのものに要請的要素をもっている限り、「法華経」への不惜身命の信は、当然、「妙法蓮華経」をそのまま久遠円仏の象徴と見る信仰とならなければならない。そのように考えるならば、古典的な人法一如論や人法不二論ではなく、根源的な原理に立拠する本尊への信仰の世界が確かめられるであろう。《茂田井教亨「本尊の原理と形態」(『観心本尊抄研究序説』)》(渡辺宝陽)


「本仏」
本門の仏。法華経本門寿量品の仏。仏は法華経寿量品において「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と近成を開して久遠実成を顕された。久遠の仏は近因近果を会して遠の因果を開顕したのであるから、一切の諸仏(爾前迹門の仏)を能統一する唯一絶対の仏である。このことを『開目抄』には「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕はす。これ即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備て、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(定五五二頁)と発迹顕本の意義を述べ、更に『開目抄』に「此過去常顕るる時仏皆釈尊の分身なり」(定五七六頁)、『法華取要抄』に「大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等十方の諸仏は我等本師教主釈尊の所従也」(定八一二頁)と諸仏に超越する久遠釈尊の絶対性を論述されている。このように寿量品の仏は久遠より已来我等と結縁の仏であり、我らとは父子の関係にある。従って主師親の三徳を円満具足するのは教主釈尊を除いてありえず、ここに久遠釈尊を本門の本尊として尊崇するゆえんがある。本尊とは信仰の対象として相対的でありつつ信仰を媒介とするゆえに内在的でもある。超越の釈尊を自己の内在とすることが法華経の信心にほかならない。これを聖人は『観心本尊抄』に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ」(定七一一頁)と超越の釈尊受領の信心を示し、更に「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏也」(定七一二頁)と五字受持による本因本果受領の世界を説示されている。これは相対の仏が内在の仏であるという観心の世界である。超越即内在の仏とは三身円満の無始の古仏である。五百塵点という有量の無量に仮託して顕わされた無始久遠の仏とは、客体的本尊としての教門本尊が受持者内在の観心の本尊であることを意味しており、本門本尊即観心本尊、観心本尊即本門本尊という不二一体の世界である。


「阿弥陀仏」
サンスクリット語、Amita ̄bha(無量光明の義)、Amita ̄yus(無量寿命の義)。西方極楽世界の教主。無量光仏・無量寿仏とも訳す。浄土教において信仰の対象とする仏。浄土三部経に説かれるが、特に『無量寿経』には、その因行と誓願が説き明かされている。過去無数劫に世自在王如来が出世し教化された時に、一人の国王が無上菩提の心を発(おこ)し、王位を捨てて出家し法蔵比丘といい、仏のもとで菩薩の行を修し、諸仏の浄土を見、五劫の間思惟して、四十八願を立て荘厳浄土の誓を述べた。かくて永劫に亘る菩薩の行を修して、十劫以前に成仏し、その仏土は娑婆世界より西方十万億仏土を過ぎた彼方にあり、今も説法していると説く。しかし法華経においては、迹門化城喩品で、大通智勝仏の十六王子の第九王子として法華修行、法華説法の弥陀と説かれ、本門薬王品では釈尊分身の弥陀として説かれている。日蓮聖人は法華最勝の立場から、諸経を未顕真実の方便経と規定し、諸仏もまた久遠実成の釈尊から見れば、分身仏であり迹仏であるという。しかも娑婆世界の衆生に有縁の仏は主・師・親三徳具足の釈尊だけであって、西方極楽世界の阿弥陀仏は娑婆の衆生とは無縁の仏であることを強調している。日蓮聖人はこの仏陀論の立場からも、当時の浄土教信仰に対して厳しい批判を加えるのである。


2015年10月31日