法話 法華経とお題目 信仰の継承
法 話『 法華経とお題目、信仰の継承』
当山の住職の法話を掲載します
《 お墓と心の豊かさ 》
遠方に住んでいるご友人や知人に会いに行くときには相手の事を思って思い出話など話題となる何かを必ず考えていると思います。遠い場所にお墓がある場合も同じように、そこにたどり着くまでの時間にご両親や祖父母ご先祖の事をいろいろ考える時間があるわけです。そうした時間がすでに供養となっているのです。その時間が長ければ長い程、大きな功徳で供養を果たしている事に繋がっているのだと気が付く事ができるはずなのです。
近くにお墓があってお参りに行く人よりも、思いを寄せる時間がたっぷりあってかえって良いなと思える人の心はとても豊かな人です。こうした人は、同時に幸福感が豊かな人ですから成功をおさめる事ができて必ず人が羨むほどの幸せな生活を過ごされているお方が多いのです。
お墓などの事を考えると、「子供に世話をかけたくない」と思われるお方も今や少なくはないでしょう。しかしちょっと考えてみてください。
自分の子供が立派に成長し良い年齢となっているはずです。何時までも子供扱いしていては大人としての子供の面子も立ちません。何時までも親に保護されている子供である事を証明してしまっているのです。逆に子供が、「大丈夫だ何も心配せんでくれ!ドンと任せたもうせ」と今テレビの大河ドラマ「西郷どん」のようにたくましく言って頂けたのならば、なんとも頼もしくこれ以上に幸せな事はないでしょう。
子供は、親孝行、先祖孝行を果たすことができ、親は立派に子供を育ててきた甲斐があったと思えるはずではありませんか?そればかりか大事な自分の子供が孫の代になった時、同じような思いにさせなくて済み涙がこみ上げてくるような安心感に包まれ幸せを感じられるように「幸福という縁の繋ぎ」をしてあげられるのです。
お子さんがいなくご自身の後に続かないお方は、永代供養廟、合同墓「安穏廟」のある当山、妙蔵寺を大いに頼って下さい。
「現世安穏 後生善処」その為の法華経とお題目の信仰、そしてお寺との関係なのです。
《 先祖からの菩提寺という深い仏縁 》
自分は次男だから親の代まで続いてきた菩提寺に入らずお題目の信仰も止めて他の宗教に入ったり、他のお寺に入ってもそれで良いと言う事には残念ながらならないのです。
先祖代々とか類代という供養を捧げた時に、親類親族が代々信仰を行ってきた菩提寺に葬られ祀られている事によって、先祖供養の関係が親族お互いに近くなり強いものとなっているのです。供養は眼に見えない心の表しであるが故に、どこまで行き届いているかがはかる事ができなくても、葬られた一族が代々同じ場所、同じお寺にて供養を行なう事ができれば、見えないものが眼に見える供養として明らかな実感が持てるはずなのです。
法華経とお題目の教えは、仏法のなかでも最上最尊であり一番大事な教えなんだよと法華経を少しでも内容をお解りのお方には、お釈迦様と日蓮大聖人様がご教示されている事をご存じかと思います。さらに法華経の中には、
『化城諭品。第七』「三悪道充満し諸天衆減少せり。今(いま、)仏(ほとけ)世(よ)に出でて衆生の為に眼となり世間の帰趣(きしゅ)する所として一切を救護し衆生の父と為って哀愍(あいみん)し饒益(にょうやく)したもうものなり。我等(われら)宿福(しゅくふく)の慶(きょう)あって今(いま、)世尊(せそん)に値(あ)いたてまつることを得(え)たり。」
そもそも法華経とお題目に仏縁のある皆様方には、お釈迦様と日蓮大聖人様とも遠い昔の前世から、自らのみならず命の継承をしてきた今日の「いのち」に、「宿福の慶あって今、世尊(せそん)(法華経とお題目)に値(あ)いたてまつる」ゆえの「尊い仏縁」をお持ちなのだという事が説き示されているのです。
ですから他の宗教で良いと言うのではなく重要な事は、本尊と教えの本質そのものがどのような教義にそった教え(正法といわれた経典は法華経のみ)であるのかが最重要なことですが、幸いにも日蓮宗の寺を菩提寺として定めている事に、尊い仏縁があって、ご先祖さまが代々に信仰を捧げてきて尊い血脈によって繋いでこられたという事でもあるのです。その大恩徳をまさに簡単に切って逃れてしまうと言う背徳な行為は、いわば大罪を犯すようなものでもあり、自分や子供、孫までの命を切る事と同じ事なのです。こうした行為をなす精神の在り方は苦悩の根源をつくりだしますので、親から子へ七代、現世から未来世まで伝染し続いていくという道理もあるのです。結婚などによって嫁いでこられたお方は、これこそ「宿福の慶あって今世尊(法華経とお題目)にあいたてまつる」という様に、そのお方に前世からの大功徳がおありであったのです。法華経は生まれ変わりが説かれている教えでもありますが、このお話についてはまたの機会とさせて頂きます。
日蓮大聖人は、治部公の祖母に宛てたお手紙のなかに次のように説かれています。
「悪の中の大悪は我が身にその苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかかり候けるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になりたもう。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となりたもう。乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量衆生三悪道をはなるるのみならず、みな初住
妙覚の仏となりぬ。」『盂蘭盆御書』
世間の風潮のようなものに流されてとても大事なものを失わないで頂きたいと思います。
今の核家族が主流となってしまった時代にこそ、真に法華経とお題目の信仰が、私達の家庭、家族をつなぎ、絆を深めそれぞれの人生に光明を与えてくれるのです。
しっかりと法華経の教えに準じてお題目をお唱えしていきましょう。
どのような事でも当山 妙蔵寺の日瓏をお頼りください。