神木剣の秘密
この画像にある法具は、私が加持祈祷に用いる様々な法具のうちの代表的なもので、木の板のようなものが、木剣(ぼっけん)と呼ばれるものである。この木剣の形は刀剣の剣先を模られ、九字を切ったり、魔除けや鎮魂、様々な扱い方があり祈祷全般に渡って用いられる法具でもある。主に現在、木剣に扱われる材質は、なつめ、ツゲなどが一般であるが、古来、勝の木を用いたり、一位(別名アララギ・アイヌ語でオンコ)など、または、桃の木などの邪気を避けると伝えられる霊木を用いられた。また、ヒイラギなどの魔よけとして効果の高い木剣も最近では目にするようになった。私は祈祷の内容などで幾つかの木剣を使い分けているのだが、所持しているものの中に、この画像の木剣がある。私は、この木剣を「神木剣(しんぼく・けん)」と呼んでいるが、その由来はと言うと、実は、この木剣に用いられている剣材にある。
この剣材は、60年以上も前に、コクホウ(コクホウトウ)と呼ばれる木が「ご神木(ごしんぼく)」として崇められていたが、風災によって倒れてしまい、そのご神木から剣材を採取し作られ、再びご神木が生まれ変わった由来からこう呼んでいる。祈祷の利益は法具に依るものではないが、この神木剣と私には深い宿命的な縁「宿縁」があり、この神木剣を私が扱える時期になるまで、それまでこの神木剣を護ってきた者をはじめ、私の所持開眼し利剣発動への道のりには多くの苦しみや辛い悲しみを乗り越えなければならない過酷な道があったが、こうして神木と共に人々のお役にたてるという素晴らしい縁を結んでいただいた事の甲斐も当然、利益であったろうし、多くの人々への成道、救済、利益を与えてくれるものと信じている。
霊験のある徳の高い行者からは特に、この由来の話をせずとも神秘なる生命力をこの木剣から感じられ、神木の剣である事を見抜かれることがある。これに使われている木の材質的な特徴は、乾燥にとても永い年月を要し、最低でも10年の年月を要するのだが、せっかく永い年月をかけて乾燥し終えたものを、数珠と組み合わせて加持で使いはじめると、惜しい事に真っ二つに割れやすいと言う欠点がある。使えるものとして現存し続けるのがとても難しい剣材なのだ。この神木剣は、梅雨の無い乾燥した北の大地でさらに長い年月の間、乾燥環境にあった事も重なり、これらの経過を道のりとしてきた事は、縁によって”生きぬく力”がある事を佛天が示唆していると言える。この木剣は神木として祭られた霊木を用いられた事ともあり、現存し続けられるのも、「ご神木」としての霊験あらたかな力であって、極めて稀なコクホウトウ神木剣と言えよう。まさに神妙なる木剣を痛感せずにはいられないのだ。
本来、木剣は、音が重要なのではないのだが、特に、私が感得した「陰陽数珠」と合わし使えば、この神木剣からは金属音に近い高周波の音を放つ事ができ、かつ、人の脳がα波に達する加持を行う事ができるのが最大の特徴でもある。単に高い音域から発する高周波では耳に痛いだけの”うるさい”音になってしまうのだが、この神木剣から連続でうち放たれる波動は魂をもゆさぶられる霊験をもつ。また、乾燥が不充分な普通のコクホウトウ木剣では、この特殊な高周波を出す事すらできないのだが、この神木剣が製材され木剣として加工される時に、正に神業(神わざ)とも言える特殊な処理が施されており、この処理によって特殊な波動が生み出されるための重要なポイントに繋がっている。現在の木剣製造師には決して真似の出来ない処理である。
私が扱うこの類のコクホウトウ木剣は法華の修法を行う門下においても、携える者が少なく、良く乾燥されたものは特に珍しい。今では入手が困難で、ただでさえ普通のコクホウトウ木剣ですら完成度の高いものはまず入手ができず幻の木剣である。
この3本の神木剣は、祈祷を行っていた我が祖父こと修行院日頼上人が神木との縁があって東京にあった仏具店を通し、その関係の木剣製造師に依頼して製造を行った。
その神木剣は、我が父に委ねられ光俊院日照上人が昭和48年に原木山大荒行堂に入行し、”引取り”という修法の性質に見合う陰剣を開眼する。陽剣と中道剣は未開眼のまま次世代へと託された。
ご覧の通り「神木剣」は、これ程の大きさと重さを誇る木剣を相承通りに振るい、使いこなすのも至難の業であるが、仏神への強い信念を力の源として、この神木剣を操ろうとする行者には、不屈の精神を養う事ができ、それに負けない為の修練と法力が与えられる。
また、写真を見て頂いてお分かりかと思うが、神木剣の剣先(とがった先のほう)が擦り減っているが、これは、祈祷の際に、数珠を組合して音を放つ時に板の部分に数珠の親玉が強く当たるために、すり減ってこのような形になってしまうのである。
私の感得した「陰陽数珠」には、陽を象徴する部分に象牙玉を用いているが、このコクホウトウ神木剣からα波への誘導波動を放つための最良の組合せがこれであった。象牙のほうが、剣材よりもはるかに硬いため、数珠に剣材が負けているのである。このため、加持祈祷の度に、この神木剣を用いて祈祷を行えば神木剣に大きな損傷を得ている事がお分かりであろう。
人の為にという志で祈祷を行ってはいるが、こうした「人の為」の行いには、必ずや自らの命を削り取り力を消費しているのである。それは、この祈祷で使われている貴重な「神木剣」のみならず、共に力を合わしている使い手たる私の命もまた同じである。常に、どのような祈祷であっても命懸けの真剣勝負なのである。
であるから、祈祷や相談を受けられる方々は、せめて、そうしたものにも意識をして感謝の真心を捧げ、敬意を表して頂きたい。無論、他の師のもとで相談や祈祷を受けられた場合も同じである。
この神木剣は、もともと陰陽の二道を”象徴”として2本作られたのだが、板に製材する時の切り出し方で、(神木に日の当たっていた方を陽。影の部分を陰)それにより材面にも、木目の明るい部分から陽剣をとりだし、暗い材面のものを陰剣として取り出された。
が、しかしそのあと感得するものがあって両剣の間から中道を象徴とする木剣が取り出された。
何故、このような木剣を作ったのかという意図的なものは全く明確にされていないので正直分からないが、この三本のうち陽剣と中道剣は共に保管され、陰剣は我が父が使い手として原木山大荒行堂を入行の際に利剣開眼し携えていたが、陰剣の性質上から悪因縁に苦しんでいた多くの人々の因縁を我が身に引き受け、その因縁により病床に伏して以降、ある年月、数十年間、陰剣は他の神木剣と離れ離れとなってしまっていたが、平成13年10月に、父が遷化し、その際に父の元から回収しようやく再びこの陽剣の元に陰剣が還ってきて、使い手たる主人の元に三本の神木剣がそろった。陰剣は、陽剣の元を離れている間、数々の因縁深い者との関わりがあったにもかかわらず、使い手が日々修練を行っていなかった為か、現在、まるで効力が失せているばかりか、とても暗く不浄な気を発している為、只今、清めの最中で数年はかかりそうだ。であるため陰剣の神木剣は、法具として利剣の活用が出来る状態には至っていない。尚、中剣に関しては実用向きで常用するには丁度良い大きさではあるが、未だ開眼がなされておらず次世代へ受け継がれるべき定めを抱えているかのような因縁を感じている。
本来、陰剣は、その性質上から、陽剣、中剣の三本が開眼されたうえで扱わなければならない。この神木剣にゆかりのある縁者が日々修行を怠らず、慈眼視衆生の精神を深め、修法を行う際には、それら三本を同時に携えて初めて陰剣を使いこなせる。いわば陽剣と中剣は、陰剣の身体木剣として身体擁護の大きな役割をもこなすのだが陰剣は慎重を期して扱わなければならない。
この木剣の木目から年輪幅が判るように、いかに貴重な霊木であったかと言う事も伺える。中剣、陰剣の画像も今後は公開を予定したい。
尚、この三つの木剣は、木材にしては非常に珍しいことに比重があり水の中に投じると沈んでしまう。
沈香(沈水香)という香料となる香木があり、その価値は金の価値をも上回る貴重なものであるが、実際には現在は水の中に沈む沈水香は入手ができないに等しい。この木剣を直射日光に当ててしばらくするとほのかな芳香を発する。
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