燃燈仏のために泥の中に身をなげた善意
遠い昔、善意(ぜんい)という人が父から御先祖達、七代かかってたくわえた遺産を相続する事になり、ふと考えました。「自分の親や先祖は、あの世に行くのに一円も持って行く事が出来なかった。自分はあの世に持って行けるものを作らなくてはいけない」そこで善意は街へ出て苦しむ人々に自分が相続した金銀財宝の全てを布施(ふせ)してしまい無一物となって物質的な欲や迷いを断ち切り出家しました。
その後、懸命に修行を続けた結果、素晴らしい精神力(せいしんりょく)を身につける事ができました。ある時、善意(ぜんい)が修行に明け暮れている日、燃燈仏(ねんとうぶつ)と言う仏様(ほとけさま)が当時の世に出られました。そして国や町中の人々が仏様が来るという事で、嬉しそうに仏様の為に道路を修理したり街をきれい綺麗に掃除をしていました。その姿や風景を見て初めて善意が燃燈仏と言う仏様の事を知り、「私も仏様のお通りになる道の修理をしたいので、仕事をさせて下さい」と言うと人々は善意がいだい偉大な神通力(じんつうりき)(超能力的な不思議な力の事)を持っている事を知っていたので、修理しにくい所を善意にまかせました。しかし「仏様を供養するためには自分自身の体の力で直さなければならない」と思い不思議な力を使わなかったので仕事に時間がかかり、ついに仏様が来るまでに間に合わなかったのです。善意はとっさに、泥の中に飛び込み「私の背中を踏んで歩いて下さい」と言いました。仏様は、善意の来世(らいせ)を探ったのち「この泥の中に体を伏せている善意は仏となる事が出来る心得をもっている。かれののぞみは必ずかなうであろう。善意は未来の世界で一国の王子と生れ変わり、やがて釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)と言う仏となるだろう」と予言されました。善意は見事、あの世をこえ来世にまでも持っていける「徳」(とく)という素晴らしいものを身につけ持って行く事が出来たのです。