お釈迦様の物語一覧

燃燈仏のために泥の中に身をなげた善意

 遠い昔、善意(ぜんい)という人が父から御先祖達、七代かかってたくわえた遺産を相続する事になり、ふと考えました。「自分の親や先祖は、あの世に行くのに一円も持って行く事が出来なかった。自分はあの世に持って行けるものを作らなくてはいけない」そこで善意は街へ出て苦しむ人々に自分が相続した金銀財宝の全てを布施(ふせ)してしまい無一物となって物質的な欲や迷いを断ち切り出家しました。
その後、懸命に修行を続けた結果、素晴らしい精神力(せいしんりょく)を身につける事ができました。ある時、善意(ぜんい)が修行に明け暮れている日、燃燈仏(ねんとうぶつ)と言う仏様(ほとけさま)が当時の世に出られました。そして国や町中の人々が仏様が来るという事で、嬉しそうに仏様の為に道路を修理したり街をきれい綺麗に掃除をしていました。その姿や風景を見て初めて善意が燃燈仏と言う仏様の事を知り、「私も仏様のお通りになる道の修理をしたいので、仕事をさせて下さい」と言うと人々は善意がいだい偉大な神通力(じんつうりき)(超能力的な不思議な力の事)を持っている事を知っていたので、修理しにくい所を善意にまかせました。しかし「仏様を供養するためには自分自身の体の力で直さなければならない」と思い不思議な力を使わなかったので仕事に時間がかかり、ついに仏様が来るまでに間に合わなかったのです。善意はとっさに、泥の中に飛び込み「私の背中を踏んで歩いて下さい」と言いました。仏様は、善意の来世(らいせ)を探ったのち「この泥の中に体を伏せている善意は仏となる事が出来る心得をもっている。かれののぞみは必ずかなうであろう。善意は未来の世界で一国の王子と生れ変わり、やがて釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)と言う仏となるだろう」と予言されました。善意は見事、あの世をこえ来世にまでも持っていける「徳」(とく)という素晴らしいものを身につけ持って行く事が出来たのです。

2015年11月01日

両眼をえぐりとって布施をした尸毘王

 遠い昔、尸毘王と言う誰からも批判されない正しい政治を行った王様がいました。都の色々な所に布施所をつくり毎日のように人々に布施をしていました。ある日、王様は自分の布施について考え物質的な物で自分が布施しなかった物は一つも無い事を知りましたが、王様は「これだけでは本当の布施にならない。自分の身を犠牲にして行う布施こそ功徳ある尊い布施なのだ」と考えました。そこで、「だれかが自分の心臓・肉・血・眼球などをほしいと言ったら、よろこんで布施しよう」と心にきめて布施所へでかけました。王様の決意を知った神々の王である帝釈天は、王様の決意が本当かどうかを試そうと、盲目の老人に姿を変えて王様の前に現れ、王様の両眼のうち一つを布施してほしいと願いでました。王様は自分の決意を実行に移す時が来た事をよろこび、王宮に帰ってジャータカと言う医者を呼び、自分の眼球を取出し老人に移植するように命じました。王様は残りの眼でその様子を見て「自分の布施は素晴らしい布施だった」と内心からあふれ出る喜びで一杯になり、残りの眼球をも布施してしまいました。こうして両眼を布施して盲目となった王様は、王国を大臣にまかせて、出家して僧侶となりました。その後、王様は自分の布施が充分であったかを考えました。帝釈天は王様の眼を元通りにしてあげようと姿を現わし、「尸毘王よ、あなたが眼を布施した結果として、あなたに眼が生じるように」と言うと、たちまち王様には第一、第二の眼が生じたのです。それは生まれたままのものでもなく、神々のものでもない。「最高の尊い真実の眼」と呼ばれるものであったと一切経のなかに書かれています。この尸毘王とはお釈迦様の前世のお姿でありました。

2015年11月01日

飢えた虎に我が身を食わせた話

 ある日お釈迦様が弟子の阿難を連れて托鉢をしていた時の事です。その時、一人の老母がお釈迦様の前にひれ伏して「今、刑場で処刑されようとしている二人の息子の命をどうかお助け下さい」と懇願しました。聞くところによると、二人の息子が飢えにせめられて盗みを重ねた結果、死刑を宣告されたと言います。我が子の命を救おうとする熱意に心を打たれたお釈迦様は、王の所へ出向き二人の命乞いをして、二人は救われました。感激した母子三人は弟子となりお釈迦様の教えを聞いた結果、ともに修行を完成して阿羅漢と言う位に到達しました。
この事を讃嘆した阿難に対してお釈迦様は「これは過去世からの因縁である。昔、マハーラトナと言う王があり、三人の王子がいた。ある日、三人の王子達は林の中で遊んでいた。その林の中に、二頭の子を連れた母虎が棲んでいて、長い間、獲物にありつけなかったので、母虎は飢えに責められて二頭の子の虎を食おうとしていました。三人の王子のうち二人の兄王子は逃げ去ろうとしましたが、末のマハーサットヴァ王子は、「永い輪廻転生の間に、私は無駄に命を捨てた事が限りなくある。それは貪欲のため、或は怒りのため、或は愚痴のためであって、尊い教えのためであった事は一度もない。尊い教えのために身を捧げる絶好の機会だ」と考え、虎の前に我が身を投げ出しました。飢えた母虎は、マハーサットヴァ王子の体に食いつき、二頭の子虎は命を救われたのでした。末の王子が虎に食われた事を知った父王と王妃は林へ行きマハーサットヴァ王子の骸骨を見た二人は悲しみの余り気絶しました。我が身を惜しまず虎を救った功徳によって兜率天と言う最高浄土世界に往生できた王子は、父母の前に姿を現わし、「父王よ、私は我が身を捨てて飢えた虎を救った功徳によって兜率天に生まれました。存在するものは必ず無くなり、生あるものには決まって死が訪れます。これが生きとし生けるもののさだめなのです。」と語った。お釈迦様は、阿難尊者に、「その時の父王とは、今の私の父であり王妃とは、私を生んでくれた母である。長男の王子は弥勒。次男は仏弟子のヴァスミトラ。末のマハーサットヴァ王子は私自身であった。虎の母は今の老母。二頭の子虎は今の二人の息子である。私は前世においても二人を救い、今また二人を救ったのである。
このお話は、前世のお釈迦様の功徳を説く代表的な捨身供養の物語です

2015年11月01日

兜率天(とそつてん)より娑婆世界に降り立つ決心をしたお釈迦様

 菩薩(仏になろうと道を行く者)と言う位であった前世のお釈迦様は仏陀となる前に、過去世から無数の生涯のあいだに限りない自己犠牲によって、計り知れない功徳を積んだ結果、兜率天(最高浄土世界)に生まれ変わる事が出来たのです。今度は、尊い教えで生きとし生けるものの全てを救う為に、地上に下る時機を待っていた時の事でした。やがて天上界で心地よい音楽が奏でられ、神々は菩薩がいよいよ地上に降り立つ時が来た事を知らせ、菩薩は自分の宮殿を出て神々の集まる集会堂に行き正面の座に着きました。続いて無数の他の菩薩達も席に着きました。そこで、お釈迦様となる菩薩は地上に降りる時機と大陸と国と家柄等について観察していました。時機とは、人間社会が理想的で完全な状態であると宗教を求める心は起こらず、反対にあまり堕落した場合にも宗教を求める余裕が無いので、仏陀の教えを必要とする好適の時機を選ばなければならないのです。そこで、色々と協議した結果、閻浮提と呼ばれるインドを中心とした大陸がもっとも相応しいとされ家柄は、王族が優勢であると言う事になりました。神々は、次に父となるのはどこの国王が良いか相談しましたが相応しい国王は見つかりませんでした。そこで改めて条件をたずねると菩薩は、国王については六十四、母となるべき女性については三十二の条件を示しました。これを聞いた神々は、大国以外の小さな国々まで探した結果、釈迦族と言う小さな国の国王である浄飯王と摩耶妃が良いと言う事になりました。そこで、やがてお釈迦様となる菩薩は、自分の後任として弥勒菩薩を指名し、神々に別れを告げて地上に降りる決心をしました。弥勒菩薩は兜率天で神々の為に法を説き、やがて釈迦牟尼のあとをついで地上に下って仏陀となる日を待つ事になったのです。菩薩は、いよいよ兜率天から降り、古くからのしきたりによって六つの牙を持つ白象に変化して、摩耶妃の右脇から胎内に入りました。摩耶妃は、その出来事を夢に見ていて菩薩を胎内に宿してからは一切の心の迷いや苦しみを持つ事なく、他人に対する思いやりはますます深くなりました。それから十ヶ月、カピラ城のいたる所に不思議な前兆がいくつもあらわれて、摩耶妃は菩薩が誕生する時が来た事を知ったのです。ある日、摩耶妃がルンビニー園と言う場所に散歩に出かけた時、一本の樹の枝に手をかけた瞬間、十ヶ月のあいだ胎内にいた菩薩は母の右脇から生まれたのでした。

2015年11月01日

生活の豊かさにも心を満足させなかったお釈迦様

 お釈迦様が誕生して七日の後に摩耶妃が亡くなり、摩訶波闇波提と言う人によって養育され、幼いお釈迦様は一族のものの愛情を一身にあつめ、何一つ不自由することなく成長しました。たくさんの学問や技芸、武術の教師がカピラ城に招かれ、若いお釈迦様は、その何れの分野においても非凡な才能を発揮したのです。王宮内には蓮池があり、青、紅、白の蓮華が、どんな時にでも咲いてとても綺麗で気品にあふれており、若いお釈迦様は、最高級の衣服、下着、香水を使っていたのです。青年時代のお釈迦様は、この上なく優雅に日々を送っていました。さらに父王は太子の為に三つの宮殿をつくり、一つは冬を過ごす為の宮殿。もう二つめは夏を過ごすための宮殿。三つめは雨期を過ごすための宮殿でありました。太子は雨期の四ヶ月のあいだ、雨期の宮殿のなかで女性だけの伎楽にとりまかれていて、宮殿から外に出た事はありませんでした。青年時代のお釈迦様は、このように裕福で、優雅に生活を送られていましたが、ある時、このような心境を抱かれました。『無知の凡夫たちは、自分自身も老いていくものであり、老いを免れない存在なのに、他の人々の老衰していく姿を見て悩み、恥じ、嫌悪している。この私も老(お)いていくものであり、老いを免れないのに、他の人々の老衰した姿を見て、恥じ、嫌悪するだろうか。この事は私に相応しくない』このように心に感じとられた、お釈迦様は青年時代における全ての若さの驕りを消滅されたのでした。

2015年11月01日